表彰式・作品レポート

■第2回子ども作文コンクール応募点数
ブロック 東日本 西日本 海外 合計
小学1~3年生の部 66 178 76 320
小学4~6年生の部 174 340 83 597
中学生の部 1790 176 27 1993
合計 2030 694 186 2910

今年は新型コロナウイルス感染症の拡大が広がる中での作品募集となりましたが、国内からは2724点、海外は15か国から186点の作品が集まりました。
ホールでの表彰式を開催することはかないませんでしたが、2020年11月23日にオンライン表彰式を開催しました。
審査委員の先生方や受賞者とそのご家族にご参加いただき、受賞者の皆さんには受賞した作文の朗読をしていただきました。受賞者と審査委員が直接対話する場面もあり、画面越しではありましたが受賞者の皆さんをお祝いすることができました。

表彰式の様子

第2回子ども作文コンクール:受賞作品と審査員講評

ポスターコンクール・公募展の受賞作品はこちらをご覧ください。

【受賞者一覧】※受賞者名をクリックするとその作文に移動します。

理事長賞 小学1~3年生の部 日野市立日野第五小学校 志賀 広望
小学4~6年生の部 東京学芸大学附属世田谷小学校 矢野 さらら
中学生の部 宮城県古川黎明中学校 江良 さくら
専務理事賞 中学生の部 長久手市立南中学校 佐々木 優真
学研賞 小学1~3年生の部 魚津市立清流小学校 武隈 智哉
小学4~6年生の部 敬愛小学校 安田 悠真
中学生の部 昭和学院秀英中学校 鎌田 凌
入賞 小学1~3年生の部 明治学園小学校 能美 にな
小学4~6年生の部 山梨学院小学校 古屋 絵梨果
豊島区立要小学校 佐久川 政海
中学生の部 小金井市立東中学校 滝澤 あかり
青山学院中等部 座間 耀永
海外賞 小学1~3年生の部 ピッツバーグ日本語補習授業校 高垣 采音
中学生の部 マニラ日本人学校 細川 佳瑛

■ 理事長賞

小学1~3年生の部

おかあさん学校
日野市立日野第五小学校 二年 志賀 広望

 ぼくが、二年生になってニ日目から、学校が休校になりました。だから、かわりに、おかあさんが学校をやってくれました。先生は、おかあさんです。
 おかあさん学校は、毎日、朝九時に始まります。始める時は、
「よろしくおねがいします」
と言います。ごはんのつくえにシートをしいて、教科書を出します。ドリルの日もあります。おかあさんは、
「これから、おかあさん学校をはじめます」
と言って、その日にやることを言います。学校でやるはずだった、べん強を教えてくれます。国語は、新しいかん字をノートに書きます。一日に五文字ずつおぼえるので、二年生のかん字は、もうすこしでおわります。算数は、ひっ算のし方を教えてもらいました。まちがえそうなところを教えてもらったのに、まちがえてしまうことがよくあるので、気をつけています。ときどき、ぼくは、べん強をやるのがいやになって、おこりだしたりして、おかあさんをこまらせたけど、おかあさんは、学校がはじまるまで、土日も休まずに毎日続けてくれました。ぼくは、小学校が始まってから、じゅぎょうでこまったことはありません。なぜなら、おかあさん学校でどれもやったことばかりだからです。
 小学校が始まった日に、学校から帰ってきたぼくは、おかあさんに
「おかあさん、これまで、おかあさん学校をありがとうございました」
と言いました。おかあさんは、
「もうおわり?」
と言いました。ぼくは、すこし考えて、
「いや、まだ、つづける」 と言いました。だって、ぼくは、これからも学校のじゅぎょうでこまりたくないからです。おかあさんは、先のことをべん強することを、よしゅうと言うことを教えてくれました。ぼくは、よしゅうをして、わからないことは、おかあさん学校で聞こうと思いました。
 おかあさん学校は、ずっとつづけてほしいです。おかあさん学校は、休みの日にやることになりました。おかあさんは、ぼくのおうちの先生です。

【志賀さんの作品に対する講評】

広望さんの 問題もんだいけてよろこんでいる「笑顔えがお」、手強てごわ課題かだい出会であってこまっている「表情ひょうじょう」、そして、見守みまもっているおかあさんのやさしい「」がかんできます。おかあさんの「もうおわり?」にたいしての広望さんの「いや、まだ、つづける」の言葉ことばの中に、充実じゅうじつしたおかあさん学校での「まなび」、「予習よしゅう」への意気込いきごみをかんじます。広望さん! かけがえのない先生に出会いましたね。

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小学4~6年生の部

ドーナツ
東京学芸大学附属世田谷小学校 五年 矢野 さらら

 黒板を見ながら、手を挙げ発言をする。でもその直後には目線は下に、えんぴつをにぎった手はさらさらと動いていた。私は自分が自分の意見を言えたことに満足し、友達の意見をほとんど聞かず、「なるほどね」と受け入れようともしなかった。
 一回の授業で何が変わる? 四十五分で進化できる何かがあるとすれば、ノートづくりがうまくなるだけだと思っていた、あの頃の私。
 自分でいうのもなんだけれど、児童会の集会委員もクラスの独自活動も一生懸命やってきた。けれどいまいち、担任の先生(くぼけん)にみとめられている気がしなかった。
「くぼけんなんて、気にしないでいれば?」そう思う人もいるだろう。私もこの文章を書きながらそう思っている。でも以前の私は担任の先生にほめられたいという「中途半端なプライド」を持っていた。そんな小さな人だった。
 ある日、くぼけんに呼び出された。「ああ。なにか、おこられるんだなぁ……」そうさとった。でも少し違ったのだ。放課後、誰もいない教室で向かい合って座ると、私の目をみて、鼻のあたまをかきながら、こういったのだ。
「みんなの話を目を見て聞いて、受け入れな」

・・・・・・聞けてなかったんだ・・・・・・

 その日から聞くことに意識を向けてみた。すると、「自分以外の人がこんなにもいい意見を発していたのか」と思うようになり、一回の授業でも、みんなの意見のおかげで深まっていく感覚があった。私はまるで別の世界にいるような感覚を覚えた。みんなに「変わったね」と言われるたびに嬉しくなる。それは今でもそうだ。
 きっと私はドーナツのように肝心な真ん中が抜けていたのだ。でも、どんどんふさがっているような気がする。まだ完全にはふさがっていないけれど。
 気がつくと、いちいちくぼけんがどう思っているかなんて気にならなくなっている自分がいた。だって、私は真ん中に大きな穴のあいたドーナツからステキなパンケーキになろうとしているのだから。まだ小さな穴はいくつもあるけれど、価値は全然違う。ドーナツの頃を忘れたわけではないけれど、くぼけんに言われて、そのあと人の意見を聞けるようになって、色々気づいた私はステキなパンケーキになれそうな気がするんだ。

 くぼけんとクラスのみんなとやる予定だった四年生最後のクラス活動「二分の一成人パーティー」はできなくなってしまったけれど、この一年間で気づいたことは大人になるまでの間、私を支えてくれる気がする。
 ふっくらしたステキなパンケーキになった私を想像すると楽しくなる。

【矢野さんの作品に対する講評】

「真ん中が抜けたドーナツ」が「くぼけん」の一言で「芯の詰まったパンケーキ」へと変わる・・・意外な比喩表現が学び方の本質を見事に表現しています。矢野さんは、「くぼけん」の一言のおかげで友だちの意見にも耳を傾けるようになった、すると友達のさまざまな考えにふれ、学びが深化し、芯が詰まったパンケーキへと変わっていくのを実感したのですね。矢野さんの作文は、豊かな語彙や比喩表現を駆使してリズミカルに語り紡いでいます。自閉的な学びから開かれた学びに変わったのは「くぼけん」のおかげ。あえて「感謝」を口にしないことで、矢野さんの「くぼけん」に対する感謝の気持ちがいっそう強く読み手の心に響いてきます。素晴らしい作文です。

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中学生の部

祖父は、先生
宮城県古川黎明中学校 一年 江良 さくら

 私の先生は、祖父です。祖父は、何でも器用にこなす雲の上の存在です。習字・生花・造形・料理とにかく何でも上手で、私は幼少期から一番近くで技を見てきました。常に思う事は、楽しみながら挑戦する姿です。私が生まれる前は、大工さんをしていました。周りの人から聞くと、この辺りでは名の知れた存在らしく、東日本大震災の地震・津波でも、祖父の建てた家は傾くことも流失する事もなく、しっかりと建っていたそうです。それほど腕のいい大工さんが、私が生まれる前にあっさりと引退し、周りを驚かせたと聞きました。理由は、生まれてくる私と一緒に居る時間がほしいから。
 私は生まれてからずっと、祖父という名の先生を独り占めにしてきました。毎日が楽しかったです。二人で墨だらけになってベニヤ板に字や絵を書いたり、海で石を拾ってきて、家族の顔をペイントしたりしました。庭に咲いている花を生けて、デッサンもしました。川に釣りへ行き、釣った魚をさばいて食べました。先生は、大人の目線からではなく、子供の目線になって考え教え、一緒に楽しんでくれるので、度々祖母に叱られることもありました。それでも先生は笑顔で、私と走り回っていました。
 結果が目に見えて分かったのは、小学校に入学した時でした。私の通知表は、すべて「よくできた」でした。祖父は、どんな時でも、
「楽しいね」
「上手だね」
「頑張ったね」
と言ってくれました。その言葉を聞いて育った私は、学校の勉強も楽しくて仕方がありませんでした。祖父の友達に、
「おじいさんの良い所が全部似て、すごいね」
とほめられると、とても誇らしい気持ちでした。
 二年前、別れは突然やってきました。祖父が病気で亡くなりました。十一年間、誰よりも近くで見守りながら教え可愛がってくれた祖父が、いなくなりました。涙が止まらない日を何日も過ごしました。まだまだ教えてほしい事も、一緒に楽しみたい事もあったのに。
 本当に雲の上の人になってしまった先生。天国でも、楽しみながら沢山の人たちを笑顔にしていますか? 私は、先生が居なくなって寂しいけれど、受け継いだ教えをさらに極め、日々楽しんで生活したいと思います。私の人生の最初の先生が、祖父で幸せです。
 「おじいさん、十一年間ありがとう。これからも雲の上から見守っていて下さい」

【江良さんの作品に対する講評】

生きる力の塊みたいなおじいさまに、いろいろ教えてもらったのですね。亡くなられても、心の中にずっといて、自分を見つめていてくれるような気がする。困ったときには「こうしたら?」という声が聞こえるような気がする。そんな存在。それが本当の「先生」なのだということを、この作文で教えてもらいました。

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■ 専務理事賞

応募が多かった中学生の部の作品に贈られる賞です。

ばあちゃん先生のミニテスト
長久手市立南中学校 三年 佐々木 優真

 福島の祖母は陽気で明るく、よく笑う人だった。
 物心つく頃から、野菜に菓子、手紙を毎月送ってくれていた。その中には、必ずといっていいほど、ミニテストのような問題が同封されていた。メモ用紙に祖母の字で、ある時は足し算、ある時は漢字の読み書きの問題が書いてあった。それを解いて、母に丸付けをしてもらったり、次に会うときに持って行ったりするのが楽しみだった。
 何年も続いた祖母の問題は、足し算から九九、二けたの掛け算へと進化していった。面倒じゃないのかな、とも思っていた。今ならわかる気がする、僕の成長が楽しみだったのだと。
 そして、東日本大震災が起きた。僕が六歳になる年だった。
 当時の僕はわけがわからないなりにも、祖父母に会いに行きたかった。けれど、「来ちゃだめだ。幼稚園でいじめられるから」と言われたそうだ。これは後から聞いた話だけれど、震災から避難した人達に対し「放射能が付いているから来るな」といった中傷があったらしい。
 しばらく経って、やっと会えた祖父母は思いのほか元気だった。町のあちこちはブルーシートで覆われ、新幹線も動いていなかったけれど、肝っ玉ばあちゃんは健在だった。海から遠いからうちはましだ、もっともっと大変な人がいる、と力説していた。本当は大変だったと思う。家が壊れても、電気が止まっても、茶色い水のお風呂に入っても、こんなの大したことない、そう笑う祖母は輝いて見えた。
 その後も、ミニテストのやり取りは続いた。小学一年生になりランドセル姿の写真を送ると、祖母は携帯の待ち受け画面にして大変喜んでいた。ある日送られてきた箱には、六年生までに習う漢字一覧のポスターが学年ごとに六枚入っていた。「ばあちゃんは気が早いなぁ、まだ二年生なのに」と思ったのを覚えている。
 その年の冬、祖母は亡くなった。
 あんなに大変な地震を乗り越えて、これからだったのに、そう思うと悔しかった。悲しくて悲しくて大泣きした。病気が進行して苦しかったはずなのに、秋の運動会に来てくれた祖母。「体は病気でも心まで病気になっちゃダメ、ばあちゃんは幸せだよ、こんないい孫に恵まれて」とよく話しかけてくれた祖母。最後の最後まで元気な心を持ち続けていた祖母は、僕に勉強だけじゃなく、心の在り方を教えてくれたように思う。
 病室に置いてあった祖母の財布からは、僕が解答して花丸が付けてあるメモ用紙が見つかった。祖母の問題はもうないけれど、今度は自分で自分に問題を出して答えを見つけていきたい。
 ありがとう、ばあちゃん先生。

【佐々木さんの作品に対する講評】

シンプルな文章から、おばあちゃんの愛情と、それに対する筆者の感謝の気持ちが強く伝わってきました。おばあちゃんの魅力を伝えられる印象的なシーンを的確に選んで描写しているからだと思います。おばあちゃんとのエピソードの内容のみならず、文章の力強さに感銘を受けました。

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■ 学研賞

小学1~3年生の部

ぼくの校長先生
魚津市立清流小学校 三年 武隈 智哉

 水はし校長先生は元気かな。「先生」という言ばで、さいしょにうかんだのは水はし校長先生でした。おぼえていないかもしれないけれど、先生はぼくをすばらしいとほめてくれました。
 二年生の時、ぼくが体いくかんでドッチボールをしているとベルがなり、ほうそうがはじまりました。ひなんくんれんです。体いくかんに全いんがあつまり、せいれつしてすわらなくてはいけません。その時ちょうどぼくの手にはボールがありました。どうしようと考えたけど、かたづける時間はないし、ころがっているとみんながひなんするじゃまになると思いました。そこでぼくはボールをもったままひなんしました。ぼくは、はしっこにおけばよかったのかな、もったままだとおこられるかなと心がざわざわしました。
 でも、それを見ていた校長先生はみんなにこうお話ししてくれました。
「体いく館でボールをもちながらしずかにあるいている人がいました。ボールがそのままだところんでけがをするかもしれません。自分だけでなくほかの人のことをしっかり考えてこうどうしたことはとてもすばらしいです」
 ぼくはうれしくてはずかしくてかおが赤くなっていたと思います。ボールをぎゅっともちなおしました。その時これからもみんなのことを考えて行動しようと思いました。
 四月からほかの小学校へ行った校長先生、ぼくはせいりゅうでがんばるね。前がみだけが白い校長先生、朝一番大きな声であいさつをする校長先生、少しこわい顔の校長先生、でも、ぼくのことを気づいてくれた校長先生。本当にやさしい校長先生。ありがとうといえなかったけどちがう学校でもがんばってください。

【武隈さんの作品に対する講評】

智哉くんは「もったままだとおこられるかな」と心が「ざわざわした」のです。この「ざわざわ」に気づいたかのように校長先生は「ボールがそのままだところんでけがをするかもしれません。自分だけでなくほかの人のことをしっかり考えてこうどうしたことはとてもすばらしいです」とほめてくださったのですね。不安ふあん安心あんしんわり、智哉くんは自信じしんでいっぱいになったという心情しんじょう変化へんかがみごとに表現ひょうげんされています。この日の出来事できごとは、心あたたまる記憶きおくになって、智哉くんのこれからのあゆみをささえてくれるでしょう。

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小学4~6年生の部

学校は「温もり」の場所
敬愛小学校 五年 安田 悠真

 三月に始まった突然の休校から、三ヶ月が過ぎた。ぼくは、毎日元気に過ごしている。学校には登校できないが、自宅でのオンライン授業が始まり、タブレットの画面を通して、先生や友達と話すことができる。まるでみんなが目の前にいるみたいに、その様子をはっきりと知ることができる。だから、全然さびしくないと思っていた。授業中に時々、気持ちが落ち着かないな、と感じることはあったが、気のせいだろうと思っていた。
 そんなある日、担任の清水先生が、クラス全員に、個別ミーティングをしてくれた。ぼくは前から先生と話すのを楽しみにしていた。何を話そうかな。産まれたばかりのハムスターの赤ちゃんを、画面越しに見せてあげたい。ぼくはワクワクする気持ちを抑えて、先生とのミーティングを始めた。
「安田さん、こんにちは。何か困っていることはないですか」
 いつもの優しい先生の声だ。オンライン授業で毎日聞いているはずなのに、二人だけになるとちょっと照れくさい。ぼくは、自分がいつもと変わらず元気なことや、ハムスターの赤ちゃんの様子などを伝えた。楽しい時間になるはずだった。その時、先生が、
「とてもかわいい赤ちゃんね。触ってみたいな。温かそうだな。画面でしか見られないのが、とても残念」
と、悲しそうに言った。ぼくはハッとした。そうだ。ぼくが感じていた違和感は、これだったんだ。いつもと変わらないみんな、いつもと変わらない授業。けれど、決定的に足りないもの。それは、みんなの「温もり」だった。画面からあふれ出てくるような、先生の優しさや、友達の元気な笑顔を、実際に目の前で感じたい。同じ教室の中で過ごしたい。ぼくは、涙が出そうになるのをじっとこらえながら、先生に、
「早く学校に行って、先生や友達に会いたいです」
と伝えた。先生が嬉しそうに、
「もうすぐ学校が再開するね。先生も、みんなに会えるのを楽しみに待っているよ」
と伝えてくれた。先生の笑顔が、ぼくの心の霧を晴らしてくれたように感じた。
 来週から、いよいよ学校が始まる。たくさんの荷物を準備しながら、ぼくはとてもワクワクしている。学校がこんなに自分の心の支えになっているなんて、ぼくは今まで気づかなかった。学校で先生や友達と過ごす毎日が、当たり前ではなく、大切な時間だったことに気づくことができた。今ぼくは、すがすがしい気持ちでいっぱいだ。学校に着いたら、まずは先生に、そして友達に、再会できた喜びと今までの感謝の気持ちを伝えたい。

【安田さんの作品に対する講評】

「仲間と学ぶ」とは何かについて気づかされました。特に「画面からあふれ出てくるような、先生の優しさや、友達の元気な笑顔を、実際に目の前で感じたい」は、オンラインの授業の限界とも感じる「温もり」の存在に改めて気づかされました。感性の豊かさに感動しました。
書きぶりにおいても「落ち着かない」「違和感」の原因を明らかにする展開は読者を引き込みます。文章構成の参考になります。

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中学生の部

先生が教えてくれたこと
昭和学院秀英中学校 一年 鎌田 凌

 僕は吃音です。吃音とは、発音障害の一つで第一音が容易に出ない、ある音をくり返すなどのことが起こります。吃音の人は約百人に一人いて僕はその一人です。また、僕は幼稚園の時から友達に吃音のことで笑われたり、真似されたりしていました。だから、僕は小学二年生の頃から、「ことばの教室」という吃音を治すところに行くことにしました。担当の先生は岡崎先生という人で、とても明るく、ポジティブでした。また、岡崎先生は、僕がある音をくり返し言ってしまったとしても、笑わずに、
「心配しなくても大丈夫だよ」
というはげましの言葉や
「ゆっくり言うと言いやすくなるよ」
という改善点なども教えてくれました。また、友達に吃音のことで笑われたり、真似されたりされるという悩みも、一緒に考えてくれました。
 そうしていくうちに月日が経ち、岡崎先生のおかげで友達にも吃音のことで笑われたり真似されたりすることが無くなり、少し言葉が言いやすくもなったことを肌で感じました。これらはすべて岡崎先生のおかげだと思います。
 そして、僕は、いつも通り「言葉の教室」で岡崎先生と話していると突然、
「私との授業は次回で最後になります」
と、告げられました。その瞬間に言葉を失うほどの悲しさを感じました。その日の夜の寝る時に岡崎先生ともう会えなくなるということを実感し、まるでしとしとと雨が降るような静かにあふれ出る涙で枕をぬらしました。
 ついに、岡崎先生と別れの日がやってきました。途中で泣きそうになりながらも先生との話しを楽しみました。そして、授業が終わる時に、昨日書いた手紙を先生に渡すと、先生が泣きました。僕も今まで耐えていた涙があふれ出し、そばにいた母も泣いていました。そして、僕は悲しみを引きずりながら家に帰りました。
 しかし数ヵ月経った頃には、もう悲しみは消え、心の中には今まで教えてくれたことへの感謝の気持ちに変わりました。
 岡崎先生のことは今でも忘れていません。いつもポジティブでやさしく接してくれた時や、一緒に泣いた時も。僕の心の中ではずっと残り続けています。僕はこの体験から、誰かの心に残り続ける「先生」のような存在になりたいと思いました。

【鎌田さんの作品に対する講評】

岡崎先生の励まし「心配しなくても大丈夫だよ」と改善法「ゆっくり言うと言いやすくなるよ」を教えてくださったおかげで、鎌田くんは見事に吃音を乗り越えることができたのですね。「ことばの教室」をお辞めになる岡崎先生に感謝の手紙をわたししたときの岡崎先生やお母様の心情がよく伝わってくる素晴らしい作文です。岡崎先生への「惜別」の念は「感謝」と「尊敬」に変わり、これからの鎌田くんの人生に希望の光を与えてくださった、岡崎先生への感謝の気持ちがじんわり心に染み込んでくるような感銘深い作文です。

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■ 入賞

小学1~3年生の部

とくべつなせんせい
明治学園小学校 一年 能美 にな

 わたしはことし、いちねんせいです。しょうがくせいになるじゅんびを、おかあさんとたくさんしてきました。おかあさんは、じぶんがいちねんせいのときのことをはなして、
「いちねんせいのときのせんせいは、さいしょだからとくべつなせんせいなんだよ」
といっていました。わたしのとくべつなせんせいはどんなせんせいだろうとわたしはわくわくして、はやくがっこうにいきたいとおもっていました。
 でも、しんがたコロナウイルスのせいで、がっこうがおやすみになってしまいました。にゅうがくしきも、えんきになりました。がっこうから、たんにんのせんせいは、あやべせんせいだとおしらせがありました。わたしは、あやべせんせいってどんなせんせいかな、やさしいといいなとおもいました。せんせいにあいたくなって、すこしどきどきしながらてがみをかくことにしました。するとなんと、おへんじがきました。じや、てがみのかきかたをほめてくれていたので、わたしはうれしくなってなんどもなんどもよみかえしました。てがみをよみながらせんせいのことをかんがえるのは、とてもたのしいです。あやべせんせいにあいたいきもちが、ますますふくらんできました。
 もうあやべせんせいは、わたしのとくべつなせんせいです。はやく、ちょくせつせんせいにあって、なかよくなって、せんせいのことをもっとしりたいです。そして、わたしのとくべつなせんせいのことを、こんどはわたしがおかあさんにはなしてあげたいです。

【能美さんの作品に対する講評】

「とくべつなせんせいにはやくあいたい」という気持きもちがつたわってきます。先生せんせいからの手紙てがみを「うれしくなってなんどもなんどもよみかえしました」の箇所かしょで、になさんが最高さいこう笑顔えがおじて先生のことをかんがえたり、どんな返事へんじをしようかなと考えたりする様子ようすが目にかびます。
とくべつな先生のことをおかあさんにはなせましたか?

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小学4~6年生の部

メガトレ先生
山梨学院小学校 四年 古屋 絵梨果

 私はみじゅくじでうまれた。とても小さくうまれてまもなく、もうまくはくりをよぼうするための手じゅつをしたそうだ。
 二才からメガネ生活が始まった。お母さんの話によると、じゃくしと言うらしい。手じゅつのえいきょうで左目はし力が弱くてまぶたの下がり方が右目とちょっとちがう。ちりょうのためプリズムという、くもったようなメガネをかけての生活。お母さんはちょっぴり心配している様子。
 そんな時、お母さんがマッサージで目をよくしてくれる所を見つけた。メガトレ先生だ。始めはこわごわとちりょうを受けた。メガトレ先生と目が合った。マスクをしていても目が笑っていたので、心の中でほっとした。メガトレ先生との週二回のちりょうが始まった。私の目の周りをマッサージしてくれた。大きくて、やさしい手。あたたかくて、気持ちがいい。マッサージちりょうをしてもらっている間、目をつぶっていると、野原を歩いているような気がする。草花のにおいがするような気持ちでほっこりする。ちりょうの中では目の動きの練習で、右上、左上……と目をめいっぱい動かすことが大へんだけど、メガトレ先生の声をかけてくれる言葉でつらいちりょうもがんばれちゃうのはふ思ぎだ。
「今日ね。二重飛びが五回飛べるようになったよ」
と私が言うと、
「すごいね。先生も小学校のころ、毎日毎日縄飛びの練習をしてやっと二重飛びが飛べるようになったんだよ」
と話しかけてくれるやさしいメガトレ先生。話をするのが楽しみだ。
 目のことでいやなことを言われて落ちこんだ時は、学校の友達のことも
「それで、どうしたの?」
「えりちゃんなら、乗りこえられるよ。きっとうまくいく」
って言ってくれるのがうれしい。メガトレ先生と話すとモヤモヤした気持ちがふっとんでいく。
 ちりょうを始めて七年目。先生のおかげでし力がよくなり、心のひとみも元気になりました。私はメガトレ先生が大好きです。
 しょうらいはメガトレ先生みたいに目も心もちりょう出来る仕事につきたいです。

【古屋さんの作品に対する講評】

眼を良くする先生でありながら、心の先生でもあったというメガトレ(視力回復トレーニング)先生の、優しい手のぬくもりや匂いまでもが伝わってくるようなすばらしい作文でした。身体から出てきた文章だと思います。

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名監督からのラブレター
豊島区立要小学校 六年 佐久川 政海

 「代表がやたらぼくにしつこいんだ」
転機は小四の春だった。少子化により同じ支部の野球チームと合同で試合に出ることになった。そのチームの監督が村上代表である。代表の第一印象は、後で思えば本当にトンチンカンだった。翌日には心配する親に、
「代表はぼくに上手くなってほしいみたい」
とケロリと話したという。代表が人の名前を覚えないというのは記憶にある。
「おいピッチャー、おまえ名前は何」
と聞いてくるわりに、その後もしばらくはピッチャーと呼ばれ続けた。面白かったけれど。
 代表の練習は厳しかった。完全実力主義。それが意外と受け入れられて、チームがまとまった。練習のたびに代表は、前回の反省や改善点、個人へのアドバイスなど、部員に手紙をくれた。そしてぼくが大きな声で読み上げた。重い内容の後で、締めくくりは「愛する君達へ」とか「愛を込めて」とかだった。冗談めかして、実は本音だと思う。代表はぼくらと同じ目線で対等に向き合ってくれた。ぼくらも仲間を信頼した。チームのきずなが強くなると、打線も守備も強くなった。すぐに手紙のつづりは分厚くなった。
 後で母に聞いた話だが、代表がどんなに厳しく教えても、教えただけ上達する頭の良い子だと、ぼくをほめていたそうだ。ぼくには一度も告げたことがないけれど、家ではたくさんほめてあげてくださいと、言われたそうだ。この話も意外だった。ぼくは今まで代表を厳しいとか怖いとか思ったことがなく、むしろ子供好きで優しい印象をもっているからだ。すでに信頼関係はゆるぎなかった。
 代表はつきっきりでぼくの投球をみてくれた。ぼくも皆も精いっぱいがん張った。勝てる。さあ、勝つぞ。
 ついに弱小チームが去年までの「は者」の胸を借りる時がきた。相手は補欠も四年生ばかり。一方こちらは合同チームでも四年生は三人。ぼくが打たれたら後ろにいるのは下級生。勝つためには自分で抑えて打つしかなかった。相手は投手を三人も替えてきた。真夏の炎天下、一球入魂。代表はぼくの汗を自分の手でぬぐってくれた。ぼくを励ます代表の声が、熱したグラウンドいっぱいに響いた。
 最終回、円陣を組んだ。中央でぼくが叫ぶ。
「絶対、勝つぞ」
 なんと「は者」を倒してしまった。区一番の弱小チームが、勝つ喜びを味わえたのは、奇跡ではない。村上代表の愛の力だ。勝利を目指していたけれど、勝敗よりもすごい何か、これからどんな追い風が来ても、立ち向かえる強さとか勇気とか友情とか、得たものは予想以上に大きかった。今まで言葉に出したことはなかったけれど、ありがとうという気持ちは言い尽くせない。泥のついたラブレターは、ぼくの一生の宝物だ。

【佐久川さんの作品に対する講評】

佐久川くんの作文は実に心地よい。「すでに信頼関係はゆるぎなかった」「勝てる。さあ、勝つぞ」と無駄のないことばで畳みかける。野球チームの村上監督は練習のたびに「ラブレター」をくれる。締めくくりは「愛する君達へ」や「愛をこめて」。だから、厳しい指導やアドバイスはチームの皆の心に響く。村上監督のご指導から得たものは「勝敗」の奇跡だけでない。どんな困難にも立ち向かえる強さ、勇気、友情、そして、何よりも「愛」。泥のついたラブレターは佐久川くんの一生の宝物になった。短文を重ねてリズミカルに語りつぎ、心情の変化を巧みに表現した作文である。佐久川くんに人生の宝物-「愛」をくれた名監督への感謝の念がひしひしと迫ってくる素晴らしい作文である。

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中学生の部

異例だらけの時間も前向きに
小金井市立東中学校 一年 滝澤 あかり

 二月二十七日、私は一ヵ月後に小学校の卒業式を控えていた。クラスでは一人ひとりが一日ずつ担当して「卒業式まであと○日」というポスターを作成して教室に飾っていた。私は「あと十四日」の担当でこの日、家でポスターを作成していた。一時間ほどかけて、なかなか上手く出来たと思ったその時、電話が鳴った。叔母からだった。
「ニュース見た? 明日から学校がお休みになるかもよ」
電話を切り、急いで調べると「新型コロナウイルスの影響で首相が休校要請」という文字。記事を読むと来週以降、休校にしてそのまま春休みに入るとのこと。「え? じゃあ卒業式はどうなるの? 卒業パーティーは? 六年生を送る会は? あれは? これは?……」楽しみにしていたこれから一ヵ月間の予定が沢山頭をよぎった。そして翌朝、何とも言えない緊張感と共に学校へ向かった。母はランドセル姿が最後になるかもしれないと、自宅の前で写真を撮ってくれた。学校に行くと先生から、明日以降は休校になると話があった。そして急きょ、卒業式のリハーサルが行われた。
「もしかしたら、これが本番になるかもしれない。でもちゃんと本番が出来ると信じよう」
学年主任の先生が言った。私は、そして多分皆も、このことをまだ現実として受け止められないまま、休校になった。私は昨日作成したポスターを、念のため提出して帰宅した。
 休校になってからも日本の陽性患者数は日に日に増えていった。学校どころか外出さえも自粛となった。幸い、卒業式の二日前から登校日となり、短縮ながらも卒業式を行うことが出来た。最後の三日間を皆で過ごせたことが本当に嬉しかった。私は皆と過ごした時間を忘れない。こんな最後だったからこそ忘れないと思う。「卒業式まであと十四日」のポスターは当日皆に見てもらうことは出来なかったけれど、最後の三日間、教室に飾られていた。
 休校が続いて落ち込む私に、母が言った。
「こんなに一緒にいられるのは、もう最後かもしれないね。残念なことは沢山あったけれど、貴重な時間だね」
この言葉で私は前向きになった。新型コロナウイルスは日本の、いや世界中の誰にとっても初めてのことで、得体がしれなくて、誰にも先のことは分からない。だからこそ、慎重かつ前向きに立ち向かっていかなくてはいけないと思う。
 四月になり、私は中学生になった。相変わらず入学式は短縮だったし、休校も継続していて不安でいっぱいだ。でも、この異例だらけの時間をいつか、自分にとって貴重な時間だったと笑えるように、前向きに過ごしていきたいと思う。

【滝澤さんの作品に対する講評】

コロナ禍での「異例の時間」をどう過ごすか、最初は落ち込み、やがてお母さんの「こんなに一緒にいられるのは、もう最後かもしれないね。貴重な時間だね」に励まされ前向きに捉えられるようになったのですね。卒業式にも参加できたし、カウントダウンポスターも三日間教室に飾られ級友に見てもらえたのは不幸中の幸いでしたね。異例な時間の中で滝澤さんの心情が変化していく様子が手にとるようにわかります。丁寧な美しい文字遣いで説得的に綴られた素晴らしい作文です。コロナ禍に怯える暮らしが続いても、あきらめなければ必ず希望の朝を迎えられるということを、滝澤さんの作文から教えていただきました。

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命がけの授業
青山学院中等部 二年 座間 耀永

 作文教室の先生のツイッターが炎上した。
 六月三日。コロナ休み明けの学生たちを叱咤激励する「だらしない自分を否定して、きちんとしよう」というコラムがADHDや貧困のご家庭に対して、暴力的な言動だと八千余りの批判が集まった。先生の会社に抗議も入り六月五日、「不適切な表現があったため削除しました」と、コラムは突然、削除された。私が、知ったのはこの時点。母から聞き、慌ててツイートをほぼ一日かけてじっくり読んだ。「なるほど」私は唸った。色々な捉え方がある。私には、コラムは激励と読めた。ずっとテレビに明け暮れた毎日を過ごしていたからだ。しかし、そう言われることで苦しむ人達もいることに改めて気づいた。だがここで問題だと感じたのはコラムの一部分だけ切り取り匿名者が先生の人格をまで否定する口調で攻撃をしていたことだ。先生は、何千通も届くファンレター全員に直筆でお返事を書くような優しい方だ。人の人格までをも否定する必要はない、何千通も手書きで返事を書く人だってめずらしいしそんなに素晴らしい人なのになぜだ……と思った。ふと浮かんだのは、SNS攻撃を受けて自殺をした女子プロの方の事件。つい十日前だ。政府がネット中傷対策に乗り出した直後。何故同じことが起きるのか? 先生がもし自殺したら、誰の責任? 私は怖くなり、先生へ応援のメッセージを送った。先生は、「子供へ応援を書いたつもりだった。しかし、多様な解釈がある。コラムニストたる者、そこまで考えて書かねばならなかった」と苦しんでいらした。先生は、本当に参っていた。今後コラムが書けないかもしれないというより、子供を元気づけるつもりが傷つけてしまったという結果に力を失っていらっしゃるかのようだった。先生は何日も眠っていなかった。
 八日。先生のお詫び文が掲載された。先生らしく、真正面から謝り誠意を伝えていた。瞬時に、「真摯に謝った姿勢に感動した」と称賛のツイートが増えた。嬉しかったのは、最初に否定的なツイートを書いた方が、好意的なコメントを書いて下さったことだ。応援ツイートが続き、九日には、これぞ「本当の謝罪」というコメントも出て世論は一気に肯定的になった。
 今回、先生は、言葉には多様な力があることを改めて私たちに教えてくれた。解釈も多様であることも、真意は伝わるということも。だが、先生にとっても生徒にとっても苦しい一週間だった。先生は、「言葉の力を信じよう」とずっとおっしゃっていた。デジタル世代と呼ばれ、安易にSNSを使う私達。言葉は人を傷つけるものではない。私は、これからも言葉の力を大切に生きていこうと誓う。先生、辛かったですね。大切なことを教えて頂きありがとうございました。

【座間さんの作品に対する講評】

ネットでの炎上といういまの時代ならではエピソードを含む、難しいテーマを扱った作文でした。書きながら深く深く考えていることが伝わってきました。考えを書くのではなく、書くことで考える。そのときに新しい価値が生まれます。命がけで書いた文章は、きっと筆者の命が尽きてもずっと残ります。

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■ 海外賞

海外日本人学校等からの応募作品に贈られる賞です

小学1~3年生の部

また会いたいな、先生に
ピッツバーグ日本語補習授業校 小学三年 高垣 采音

 月曜日、それはわたしの大すきな曜日でした。なぜなら、大すきなふくわ先生のピアノのレッスン日だったからです。
 日本にいた時、わたしはピアノを習っていました。その先生がふくわ先生です。ふくわ先生はとてもやさしくて、声もえ顔も大すきでした。
 家でピアノのれん習をして、月曜日に先生にきいてもらって、
「じょうずにできたね」
とやさしい声とえ顔で言われると、思わずニヤニヤしてしまうぐらいうれしかったし、
「いつも家でしっかりれん習してくるから、次の週にはもうきちんとひけるようになってるね」
と言われると、また今週もれん習をがんばろうという気もちになれていました。
 また、先生と一しょにピアノをひいていると、あたたかい気もちになれて、音ぷにつつまれているようなかんじでした。どんどんピアノが楽しくなり、先生のアドバイスもスーッと心の中に入っていきました。
 わたしは、先生からピアノの楽しさを教えてもらったし、え顔の大切さも教えてもらいました。
 アメリカに来てもうすぐ一年。日本にいた時とかわった事はたくさんあるけれど、日本にいた時と同じように楽しめている事の一つがピアノです。今は、アメリカでピアノは習ってないけれど、家で楽しくピアノをひいています。すると、時々、また先生にピアノをきいてもらいたいなっていう気分になります。日本にもどったら、もう一どふくわ先生にピアノを教えてもらいたいです。
 また会いたいな、先生に。

【高垣さんの作品に対する講評】

ふくわ先生とピアノをいているときのしあわせな気持きもちが、文章ぶんしょうからつたわってきました。たのしくて幸せなピアノの音色ねいろが、こえてくるようでした。時間じかん場所ばしょえてもつながりをかんじる存在そんざい。「先生」ってすごいですね。

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中学生の部

先生の言葉
マニラ日本人学校 中学三年 細川 佳瑛

 私は今まで、たくさんの先生方にお世話になってきた。海外の日本人学校という事もありたくさんの先生方とお会いし、別れてきた。どの先生方もみんな面白く、誰一人として性格がかぶらないような人たちなので、毎日の学校生活がとっても楽しいのだ。
 唯一、悲しいことがあるとすれば、それは離任式だ。今まで共に楽しく過ごしてきた先生方とお別れすることは非常に悲しいことだ。私の学校の離任式は小学生も中学生もみんな集まって先生方のお見送りをする。そして先生方はそこで最後のスピーチを行う。先生方が最後に残していった言葉はどれも印象的だ。体育館のバスケットゴールをさしながら、「あそこに積もっているのはなんだ、○○君。そうだ、ほこりだ。誇りをもって生きていきなさい」なんていうギャグを言ってみんなを笑わせる人もいれば、最後まで泣いてあんまり話せない先生だっていた。
 ただ、私が一番心に残っているのは五年生の頃の担任の話だ。その先生の見た目は失礼ながらどこかニホンザルに似ていて、ふざける時は、全力でふざけるとても陽気な先生だった。また、何か自身の面白話を思いつくたびに授業をすっぽかして全力でそれを演じて話して、教室中を笑い声でいっぱいにした。
 そんな楽しい日々は来年もずっと続くと思っていた。だがやはりそうはいかなかった。先生が離任されることをプリントで知らされたのだ。その時は驚きでいっぱいだった。でも、先生なら最後まで笑わせてくれるだろうと思っていた。しかし先生の最後の言葉は私の予想を裏切った。
 とうとう離任式の日が来てしまった。式が終わって教室に戻り、しんと静まり返った教室で先生はこう言った。
 「先生より先に絶対に死なないでください」
だ。私もクラスのみんなもはっとして息をのんだ。なぜなら先生の顔はいつになくかたく、笑顔が消えていたからだ。普段陽気で、元気をみんなにふりまくタイプの先生だったこともあり、その言葉よりいっそう私たちの心にズシンと重くのしかかってきた。聞けば先生は自分の教え子を亡くしてしまったようだ。
 その当時の私は幸運なことに、死とは別の世界で生きていた。しかしこうやって親しい人に言われるとその怖さは格段と伝わってくる。今まで当たり前に過ごしてきた日々が一瞬で消えてしまいそうで怖かった。そして先生の言った言葉は絶対に守ろうと思った。
 いつも私たちを笑わしてくれた先生には本当に感謝している。今では国境も越えて遠い場所にいる。その先生に今一言伝えられるとするなら、私はこの作文を通してこう伝えたい。
 「今もこれからも楽しく生きていきます」

【細川さんの作品に対する講評】

離任式での「先生より先に絶対に死なないでください」の言葉は深いですね。その言葉やそれを伝えようとした先生の思いをしっかりと受けとめ、真正面から向き合っていく佳瑛さんの心構えが伝わってきます。

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