大橋博理事長 × 内田伸子先生 対談

日本の教育界に9歳までの基礎基本教育のあり方を提示してみたい。

大橋 「日本の教育界に9歳までの基礎基本教育のあり方を提示してみたい」との思いから、2008年3月『夢 いのち育むフォーラム-子どもの学びへのアプローチ-』と題して新たなプロジェクトを立ち上げました。内田伸子先生(お茶の水大学 教授)を中心として、各分野の第一人者の先生方にお集まりいただき、有識者会議を継続的に開催していくことになりました。
ところで、「なぜ9歳までの基礎基本が重要なのか」というと、現在、小学校受験では、6歳までの基礎基本を短期集中講座のような形で勉強して学校に入ってきますが、4年生くらいから教科の内容が難しくなり、この頃から、親たちは子どものために塾や家庭教師などに結構な時間とお金をかけていきます。しかし、そのときには既に勉強についていくのが難しい状況になっている子どもたちがいます。これは、この時期、9歳には、ひとつの壁があるのではないかと考えるようになりました。それを解明したいと考え、各分野の第一人者の先生方に集まっていただき、子どもの発達段階に応じた教育を考えていくことにしました。そのとりまとめ役を内田先生にお願いすることになりました。

「9歳の壁」が子どもたちの前に立ちはだかる?

内田 子どもたちは9歳までにすごくたくさんの学びをしています。赤ちゃんは、お母さんの胎内にいる18週くらいからもうすでに、声を音刺激として外界からいろんな情報を取り込んでいます。生後10カ月くらいになると“イメージ”が誕生して“記憶”が出てきます。そこで、 物の認識の仕方が変わってきます。この10カ月の頃の認知発達上の変化を、私は「第一次認知革命」と呼んでいます。
次に幼児期の終わりから小学校一年生にかけて、子どもの発達上、大きく変わる時期を迎えます。この時期に未来の時間軸が入ってきます。時間の概念が獲得され、原因と結果で物事をとらえるようになります。

自分の気持ちだけではなく相手の気持ちに配慮もできるようになります。また、メタ認知機能が働き始めますと、自分の行動をもう一人の自分が監視し、行動をコントロールするようになります。このようなプラン能力やメタ認知機能、可逆的操作が連携協働するようになるのが、5歳後半から小学校1年生頃です。そこでこの時期のことを「第二次認知革命」と呼んでいます。
小学校中学年の9歳~10歳にかけては、認知発達において大きな変化が起こります。「第三次認知革命」と言っていますが、大人の思考に変わっていく時期です。教科で学ぶ内容も次第に難しくなっていき、「9歳の壁」や「10歳の壁」を乗り越えられない子どもたちがいっぱい出てしまうのです。その壁をうまく乗り越えて、本当に生きる力のある子どもを育てるために、専門的な知識を背景にしながら考えていくことが喫緊の課題であろうと考え、このプロジェクトに参加することにしました。

大橋 これまでは、「9歳、10歳から科目が難しくなる、それなら、それからがんばったらいい。それまでは元気であればいいのではないか」というような考え方が多かったようです。しかし、私は、初等教育においても9歳、10歳までに大切にしなければいけないものを、実践していく場をつくっていきたい。 “研究から実践へ”ということを、今回のプロジェクトの一番大きなテーマとして掲げたいと思います。 ところで、3歳までの教育の重要性ということについてもよく言われますが、それについてはいかがでしょうか?

内田 「三つ子の魂百まで」といわれ、“3歳までにこれだけは”、あるいは “3歳までにこうしないと子どもはうまく育たない”など、民間には「3歳児神話」などという言葉があり、3歳まではお母さんがしっかり育てなくてはダメだ、というようなことが言われます。「臨界期」というような言葉とともに、3歳までひとつの区切りがありそうだということが一般には流布しているように思います。 臨界期を唱えた人たちの文献などを細かく見てみますと、お子さんとの母性的なかかわりを行える人、ケアと教育的な働きかけの両方を与えることのできる人が重要だと書かれています。 そして、そういう働きかけをするのに一番効果が発揮できる時期を「敏感期」と解釈すべきではないかと思うのですね。この時期は、脳神経系や身長、体重が発達し、心身ともに発達をする基盤がつくられるという意味で、非常に大事な時期です。だからこの時期にどういった経験や体験を与えるか、どんな活動をしていったらよいのかについて、先行の知見を踏まえ、整理していくことが必要だと思います。

大橋 なんとなく3歳までが大事だということが言われますが、それはどういうことなのか、母親でないとダメなのか、お母さんたちにも、もう一 度それを整理し、学んでいく時間が少しずつ増えてくるとよいと思います。

子育てというのは、子どもとかかわる時間の質が問題では。

内田 3歳児神話をめぐる先行研究をみてみますと、子どもとかかわる時間の質が問題であることがわかります。たとえば、子どもに絵本を読み聞かせる場合、絵本をひとつの材料として子どもと触れ合うことが大事です。また、子ども自身が目を輝かせているものにお母様も敏感でないと、子どもが本当に学びたいものを見過ごしてしまいます。
「学習の原理」は、快適な気分のもとで多くを学ぶことです。楽しいときには質の高い学びが起こりやすく、叱られながら嫌々やった勉強は身に付きません。

大橋 私には娘が4人いますが、365日働きづめで仕事をしていたときに、これではいけない、父親として子どもたちに時間を使ってやらなくてはいけないと思い、子どもたちを連れ出し遊びに出かけたのですが、子どもたちから、「パパは私たちと一緒にいるけど、気持ちは仕事のほうに行ってる」とズバッと言われたことがありました。そういう経験から考えると、親としての気持ちの思い入れがしっかりできていないと、難しいと思いました。今回、プロジェクトの立ち上げにあたって、発達心理、小児心理、幼児体育、運動発達の第一人者の先生方、教育現場で活動されている先生方に参加していただくので大変楽しみです。

学問知を臨床知、応用知に変えていくプロジェクト、このような試みは他にはないと思う。

内田 体を基本に据えるという発想はとても大事だと思いました。体は認識の原点です。これまで運動発達という分野は必ずしも重視されてこなかったと思います。文部科学省が実施した学習到達度調査やOECD(経済開発協力機構)が実施した国際学力比較調査の結果は、日本の小中高校生の学力低下を示しています。特に応用力、論証・論理力の低下が顕著であるという結果がでました。

そして、今度の学習教科指導要領の改訂では、主要教科が78%まで占めるように再編されました。美術・造型や家庭科、体育など身体表現の科目は縮小されました。乳幼児期から9歳までに、よく動く体が、よく動く頭の基本をつくるのではないかと思います。
今回のプロジェクトでは、子どもの心理や生理、脳神経の発達の専門家と、障害児教育、グローバル時代に求められる異文化理解教育など実践現場で実績をあげてこられた先生方と連携協働して、9歳までの発達課題を達成するための教育カリキュラムを作成し、現場でそれを使いながらよいものにしていく取り組みに着手したわけです。これまで研究と現場の溝は深く、「死の谷」などと呼んでいる方達もいるくらいです。その「死の谷」をこのプロジェクトで埋め、架橋していきたいと思います。このような試みは他にないのではないかと思います。

大橋 できあがったカリキュラムやプログラムをどのようにしていくか、活用していくための人の育成ということも考えていかなくてはいけないと思っています。

内田 そうですね。子どもたちに学びの機会を与えてくれる現場の指導者、教育者を養成するうえで大事なカリキュラムはどういうものかということですね。
現在、現場を知らない先生が、教科書の言葉だけを伝えるというようなことが現実かと思います。現場から出てきた問題と学問知をつなげていく中で、教師教育にも積極的な提言を行っていきたいと思います。
それと、もうひとつは親御さんの教育です。お母さん教育、お父さん教育も視野に入れて検討を進めていきたいと思います。

大橋 現在、幼稚園、保育園の先生、あるいは小学校の先生などが学ぶことは
科目的なことが多く、文部科学省のカリキュラムにおいて主要科目の占める割合が高くなっていますが、運動発達をしっかりわかった先生たちが現場に出ていかないといけないと思います。
それから今、内田先生が言われたように、家庭における教育の役割が大切になってくると思います。

教育だけではなく、しつけまでもアウトソーシングの時代に。

内田 どうも日本の社会がおかしくなったのは経済低迷期に入る1988年頃からだったかと思います。その時期に塾と学校のダブルスクール化が、大都市だけでなく、農村部にまで広がりました。また、この時期に二重保育が始まります。東京の場合、江東区を除く22区で0歳児保育所が設置されるようになりました。それはなぜか。日本経済が景気の低迷期に入り、母親たちが遅くまで働かなければいけなくなったからです。そして、教育だけではなくしつけまでもアウトソーシングの時代に入ったんですね。

これが、「先生、ついでにしつけもやってよ」というような風潮を一方で生んでしまったと思います。 とても嘆かわしいことです。

挨拶や手伝いなどができる子どもとできない子どもでは9歳以降、違ってくると思う。

大橋 今回の活動を進めるにあたっては、お父さん、お母さんにも一緒に取り組んでもらおうと思っています。朝起きて、お父さん、お母さんに「おはようございます」という家庭がどのくらいあるのか、あるいは子どもがそう言ったら、お父さん、お母さんがきちんと「おはよう」と答えてあげているのかどうか。挨拶やお手伝いなどができる子どもとできない子どもとでは、9歳以降の発達が本当に違うんです。「うちはこうだ」と自信を持って言っていただくお父さん、お母さんがもっと増えてくること、それこそが家庭教育ではないかという気がします。

内田 まさにそうですね。それに関しては、もうひとつの問題にも注目したいと思います。「ひとり食べ」「個食」です。個食をする子どもたちが、大都会を中心に増えてきているように思いますね。
このような子どもの生活の中には、家族で構成するというような場がないわけです。そして、給食費を払わないなんていう親が出てくる。本当に今は大変ですね。

大橋 今回のプロジェクトでは、9歳までは教科学習にそれほど比重を置かなくていいのではないかと思うんですね。それ以前に大切だといわれるものをしっかりと学べば十分。学ぶべき時に学べばグンと伸びます。“こういう教育があるんじゃないですか”ということを、ぜひ提唱したいと思っています。

内田 すばらしいですよね。ぜひご一緒に、子どもの心理や生理の発達の視点に立って、この時期に子どもたちに与えたら成長・発達の土台として一番効果があるというようなものを一緒につくっていきたいと思います。
「きょうそう」ということばがありますが、「競争」から「共創」、協力して創る「協創」を経て、みなで奏でる「協奏」へと子どもの育ちを応援する活動をしていきたいと思います。

大橋 先生のおっしゃった「共創」という言葉を当てはめてみれば、家族と子ども、子どもと子ども、子どもと指導者、指導者と保護者という、あらゆるところに「共創」・「協創」・「協奏」というのはありますね。
いつかカリキュラムができあがり、実践の場ができていくということまで継続してやっていきます。
日本の教育界に一石を投じる勉強会になっていけばと思っていますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

 

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