不登校マンガ「1mmの一歩」

~不登校を経験した4人が描くストーリーを制作しました

 

不登校マンガ「1mmの一歩」

「不登校の体験」が、誰かの勇気になる。

日本国内に13万人以上いると言われている学校に通っていない、または通うことが難しい子ども達。
こうした不登校の子どもの人数はここ数年、毎年増加しています。
私たちこども教育支援財団が運営する東京大志学園では、平成13年より不登校の児童生徒を支援する活動を行っております。その中で関わった子ども達の多くは、現在高校や大学、専門学校等に進学しており、当時を振り返った体験談をセミナー等で話してくれます。

  • 「どうして学校に行かないのかと聞かれても自分でも分からないので困った」
  • 「不登校の時でも親が普通に接してくれたのが嬉しかった」
  • 「勉強もしていないし、進路のことがとにかく心配だった」

私たち大人が「不登校」に対して抱くイメージとはまた違った子ども達それぞれの姿、葛藤した人生がそこにあります。
この体験談を、何とかより多くの方に読んで頂きたい、という思いで不登校マンガ「1mmの一歩」を制作しました。
「1mmの一歩」の漫画を描いたのは、不登校を実際に経験した4人の学生(現在高校や大学、専門学校に通う)です。
一部演出されているところもありますが、ベースとなるのは彼等の体験です。

どんなきっかけで不登校になり、どんな日々を送り、どんな人と出会い、そしてどんな夢を持つようになったのか。

不登校で悩む子どもや保護者の方、教育関係者の方、または不登校について今まで興味がなかったという方も、大人も子供も、是非読んでいただけたら嬉しいです。

こども教育支援財団「1mmの一歩 ~不登校を経験した4人が描くストーリー」制作委員会

冊子をご希望の場合は、下記「冊子版の入手方法」をご参照ください。

不登校マンガ「1mmの一歩」

冊子版の入手方法

【個人の方】
「寄付をする」のページから、1000円以上ご寄付頂いた方に、漫画冊子を返礼品として送らせて頂きます。1冊以上ご希望の方は、備考に冊数を記載して下さい。頂いたご寄付は、こども教育支援財団の教育支援事業の拡充のため大切に使わせて頂きます。

【法人の方】
企業や学校・または教育機関での活用をご検討の方で、寄付以外の入手方法(教材等として)をご希望の方は、下記までお問合せ下さい。

事務局(平日9 時~18 時)TEL:03-6205-6761 / FAX:03-6205-6763

「寄付をする」ページはこちら

【推薦文】

学校って何?
友達って何?
同じ悩みを持つ先輩たちの話を覗いてごらん

ちば てつや
漫画家

不安の中で生きているのは私だけではない―
そう気づいたらほんの少し心が楽になります。
ここに描かれた作品には読む人の不安をつつんでくれる優しい共感にあふれています。

里中 満智子
漫画家

『1ミリの一歩』―未来を照らす「希望の光」―

不登校に苦しんだ4名の漫画家の卵たちが協働して素敵なマンガを著しました。
本書は不登校を体験した漫画家の卵たちが渾身込めて贈るエール。同じ悩みを抱える人にとっては、闇から抜け出し、歩むべき未来を照らす「希望の光」となるでしょう。

◆漫画家の卵たちは各自の内面を振り返り、内省しながら、同じ不登校体験をもつ仲間と語りあいました。「なぜ不登校になったのか」「学校に行きたいのに、登校前に、なぜお腹が痛くなるのか、なぜ足がこわばってしまうのか」「教室の風景はいつも通りなのに、級友の話し声が怖くて思わず耳をふさいでしまう。笑い声はもっと怖い。どうしてこんなに怖いのだろうか」・・・・・などの思いが浮かんでは消え、消えては浮かぶ、堂々巡りの蟻地獄から、やっとの思いで這い出した過程を、同じ体験をもつ仲間たちに語り、絵コンテに描き出していきました。

◆マンガを描き終わって、作者の一人、村澤夏実さんは、次のように述べています。
「もしも辛い気持ちを一人で抱え込んでいるのならば、自分の気持ちをしっかり理解して、それを受け入れることが大事です。そしてその気持ちは抱え込まず周りの誰かに伝えることです。口で伝えるのが辛いのであれば、手紙でも構いません。自分の気持ちを言葉にして、発散できる場を作るのが明日への第1歩になるのではないかと思います。」(本書32頁より)と。

どうか、ひとりで抱え込まず、思いをことばや絵にしてください。これによって自分の心が見えてきます。理解し納得して受け入れることができるのです。出口が見えてくるのです。この内省を進めるのには、身近にいる家族のみなさまのお支えが必要です。出口を探しているわが子を心込めて見守ってあげてください。
この本が同じ悩みを抱える人の支えになりますように。

内田 伸子
お茶の水女子大学名誉教授

【描き手生徒からメッセージ】

私は中学の3年生の部活を引退したあとの秋頃から学校にポツポツと行かなくなりました。その当時の心境は自分でも整理がつかなく、葛藤していた記憶があります。

今回の漫画で描かせていただいた「親との対立」のシーンですが、当時の自分の心境と重ねて描きました。マンガでも少し触れましたが私は不登校になるまではなんら普通に通っていましたので、不登校になってしまった自分を受け入れるのに時間がかかりました。心は「行かないと」と思っているのに、体は動かないのです。それはきっと自分の知らないどこかで「学校に行きたくない理由」があるから学校に行けなかったのだと思うのです。しかし当時の私はその理由がなかなか見つからず、人にうまく相談出来なかったので、1人で抱えて落ち込んでいた時もありました。

マンガでも書きましたが、親との関係が当時はあまり良くなかったのもひとつの要因かもしれません。その理由が学校に行けない自分の気持ちをきちんと伝えていなかったからです。そのせいですれ違いが起こり、お互いもどかしい気持ちだったと思います。今の私から言えることは、もしも辛い気持ちを1人で抱え込んでいるのならば、自分の気持ちをしっかり理解して、それを受け入れることが大事だと思います。そしてその気持ちは抱え込まず周りの誰かに伝えることです。口で伝えるのが辛いのであれば、手紙でも構いません。自分の気持ちを言葉にして、発散出来る場を作るのが明日への第1歩へとなるのではないのかと思います。

(村澤夏実)

私も中学生の頃学校に行かない時期もありました。一人で漫画を描いて、それで楽しいからいい!そう思って生きていました。でもどこか退屈で、なぜか不安で、楽しいこと自分の好きなことをやっているのに...なぜか満たされないそんな風に思うことがありました。

この漫画は東京大志学園に通っていた男の子(現在高校1年生)をモデルに自分の中学生時代とを照らし合わせて描きました。
いま学校に行きたいけど、周りの人間関係や自分との葛藤で心を閉ざしてしまっている子がいるのならば、いったん今いる学校のことは置いておいて他のたくさんの人との出会い、そこから明るい人生を見つけて欲しいと思います。

初めはやっぱり緊張するし、また人間の輪の中に飛び込むのって勇気が入りますよね、でもその思いに負けず新しい一歩を踏み出すことが出来たならそのことは誇れることだし、素晴らしいことです!

今を生きる中高生のみんながそれぞれ自分の居場所を見つけることができますように!!

(梅木歩実)

私は中学2年の時から学校へ行かなくなりました。学校へ行けなくなってからは勉強は自分でできる範囲でやっていました。定期テストも受けに行きました。高校進学を考えていた、ということもありますが不登校だったからできないと思われるのが嫌だったからです。

不登校だったから、というのは社会に出てからは通用しません。だからこそ、今自分にできる精一杯の努力をしてください。学校に行かない間は同級生と会うのが嫌という理由で引きこもりになりがちですが、積極的に外へ出てください。外に出ることもとても勇気がいると思いますが今まで目につかなかった新しい発見があるかもしれません。

そして今学校へ行けていなくても何かのきっかけでまた学校へ通えるタイミングがくると思います。私は中学校は通えなかったけど高校へ進学し環境が変わった事によりきちんと通うことができ、卒業することができました。そして今後やりたいこと、将来の夢なども見つけることができました。

なので学校へ行けていないことをマイナスに考えず自分をきちんと見つめ直す為の充電期間だと思ってください。そしてやりたいことを見つけてください。時には嫌な事だってあると思います。ですが、それも成長するための過程だと思ってゆっくり一歩ずつ前に進んでいきましょう。絶対に笑って過ごせるようになります。

(辰己茉莉)

今回、この企画に参加して、私は様々な経験を積めました。不登校の子をモチーフにとした漫画を描くと聞き、自分の感じたことや思ったことを漫画という形で表現できれば、と思い私なりに描いてみましたが、いかがでしたでしょうか?ひとつでも「わかるなあ」と思えるシーンがあれば幸いです。

今回、おおまかなあらすじを考えた際に自分の経験が活かせるシーンはあるかな?と一通り自分の今までを書き出してみたのですが、そこで「あれ、こう見ると私ここまでであんまり後悔することないかも」なんてことを思ったりしました。嫌なことばっかりで良いことはすぐ忘れてしまうし(嫌なこともすぐ忘れるんですけどね!)、学校にも行かずにいたり、喧嘩したり、体重が増えたり、それでもお菓子は美味しかったり、誕生日には美味しいケーキを食べたりして幸せだったり、……といった具合に挙げだしたらキリがないほど良いことも悪いこともありましたが、それでも案外悪くないかもなんて思えるようになっている、いつの間にかそう思える私になっているということに気づけた機会でもありました。

(塚原菜彩)

 

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