大橋博理事長 × 三浦豪太さん 対談

生きる力というのは、楽しみとか好奇心から生まれるんじゃないかな。
生きる力の原動力はやはり「好き」な力じゃないかと僕は思います。(三浦)

大橋 豪ちゃんこんにちは。いつものように、こう呼ばせて頂きます。お父さんの雄一郎さん、おじいさんの敬三さん、ともに非常に有名な 三浦家で、豪太君はその三代目となるわけですが、まず最初に、三浦豪太とは何者ぞやということで、自己紹介からお願いします。

三浦 僕はまだ自分自身を探している最中だと思います。冒険家の息子として生まれ、幼い頃からキリマンジャロや富士山など、父の意向一つで連れて行かれて、楽しいけれど、大変な思いをすることが多かったんですね。いろんな冒険を続けているうちに、冒険って何なんだろう?と思うようになりました。大きな意味で冒険とは何かを考えるのが、僕のあり方であり、おそらく生涯かけて追求していくテーマではないかと思います。ですから「何者か」と問われれば、冒険とは何かというのを常に問いかけている人です、僕は。

大橋 先おじいさんの敬三さんは非常に長寿で、亡くなられる寸前まで お一人で生活されていて、元気に年を重ねる見本のような所がありましたよね。それは敬三さんが、スキーを続けるために自分の生活の中で自然に培ってきたものであり、
冒険家と呼ばれるお父さんの雄一郎さんも、自分の興味を追求した結果が、自然と冒険という形になったように思います。
そういうお二人を見て、三浦豪太としては、どういう生き方をしていきたいですか。

三浦 理事長がおっしゃったように、冒険というのは冒険そのものが目的というより、結果として冒険という形になったという場合が多いです。
祖父の場合は、スキーの技術を追求する事がまず第一にあって、そのために目標を定め達成したらまた次の目標を作り、生活をしながら、それに向けて努力する人でした。父の場合は、これをやったらみんながびっくりするだろう、面白いんじゃないかという発想から始まって、それがいろいろな冒険につながっている。やはり冒険というのは、人が何を目指すのかということの延長線上にあると思うし、知的好奇心を行動に移すことが、結果的に冒険になっていると思います。この知的好奇心が何かということが、冒険のあり方の一つだと思います。
僕は冒険そのものについて知りたいんです。人類はいつから冒険心を持つようになったのか。僕は、冒険というのは、人類が生き延びる一つの手段に含まれているのではないかと考えています。これまでの人類の歴史の中で飢饉や戦争、自然環境の大きな変化 があったわけですが、あの山を超えれば生き延びるチャンスがあるかもしれない、向こうには楽園が待っているかもしれない、あるいはただ 単純にそっちに行ってみたい、そういった好奇心を行動に移すことが 冒険のルーツじゃないかなと。僕としては、何をすれば身体が喜ぶのか、楽しいのか、そういったところに冒険心のルーツがあるのではないかと思っていて、好奇心を満たすことで、頭も身体も満足させるようなことができたらいいなと考えています。

大橋 命を賭けた体力勝負。 冒険というとそういうイメージがありますが、社会の中でもいろいろな分野で知的好奇心を満たすために何かに挑戦している人たちがいます。それらもまた冒険なのかもしれないと、今のお話を聞いていて思いました。 知的好奇心を満たすということから考えれば、一般社会の中でも冒険というのは日常的にあると言えるかもしれませんね。

三浦 理事長も教育という分野で、いろいろな冒険をされてきたと思うし、世の中が常に動いている以上、科学者も教育者もすべて冒険者であると思います。あらゆる変化をする環境に対し、または自分が 見ているものに対して、思ったことを行動に移してみる事自体が、冒険者だと言えるのではないでしょうか。エベレストの頂上に登ったりすることだけが冒険とは限らず、知的好奇心の方向性はいろいろで、あらゆる分野に冒険はあると思います。

環境の変化は肌で感じないとわからない

三浦 僕は父の登頂をサポートするため、2003年と2008年の2回、エベレストに行きました。2003年は父とともに登頂して、2008年は僕自身が高山病であやうく命を落としかけて下山したのですが、今年もエベレストの標高6500mの地点にあるキャンプまで行って来ました。今回は登頂が目的ではなく、エベレストで何が起きているのかを、定期的に見たかったんですね。僕は環境活動家ではないのですが、この地球がどう動いているのか、どう変わったのか、肌で感じてみたかったんです。

大橋 僕がすごいなと思うのは、エベレストの頂上に登り、命を落とすような冒険をしながら、さらにその環境に興味を持って足を運び、その変化を見てくるという行動力です。実際に行ってみて、いかがでしたか。

三浦 今回行ってびっくりしたのが、2008年の時に訪れたキャンプ自体がクレバスになっていて、大きな穴がぽっかりあいていました。2003年、2008年、今年と見ていると、氷の溶け方が尋常じゃないんです。標高6500mで、僕のザックの中の最高温度は51℃もありました。もう暑くて仕方ない。周囲ではあらゆるところで大量の水が流れていて、異常事態としか言いようがない。過去の人類が積み重ねてきたすべてが、この水の流れを作り出していると思ったら、環境活動家ではない僕でさえ、非常に危惧を覚えましたね。

大橋 冒険とはまた違った形で、地球の環境を自分の身体で感じたわけですね。文章上や数値上では地球温暖化についていろいろ言われていますが、実際にそれを体験して、環境への取り組みという点ではいかがですか。

三浦 環境は、数値などではなく、肌で感じないとわからないものだと思います。また、環境の変化は、本当に目に見えないところから始まっています。2003年は登ることで精一杯、2008年は高山病で生きるのに精一杯だったので、今お話したような山の変化も、見ようとしなければ見えなかった問題の一つだと思います。もともと今回は清掃登山の目的もあったんですが、改めて一歩ひいたところから見た時に、これはごみ拾いだけの問題ではないと思いました。

大橋 エベレストの上という、限られた一部の人しか見ることができない場所で今、溶けた氷がすごい勢いで流れている。
現場で見てきた人間として、僕はそのことをたくさんの人に伝えてほしいなと思います。それは、そこに行ってきた人間の一つの義務かもしれない。

三浦 そうですね。今後は、そういう活動もしていきたいと思います。

やりたいことは自分で見つける「放任主義」が家族のチームワークに

大橋 今のエベレストの話のように、なぜこうなったかと思ったら、現場に足を運んで、自分の目で見てみる。
こうした行動力は三浦家に代々伝わっているものではないかという気がします。三浦家は3人姉弟ですが、お姉さんは国際ヨットレースのアメリカズカップで日本チームの広報担当を務められ、お兄さんはIT分野で活躍されている。3人それぞれが、世間から見るとちょっと珍しいと言われるような仕事にごく普通に就いていますが、三浦家の教育というのはどのようなものでしたか。

三浦 やはり、まず放任主義というのがありますね。
自分のやりたいことは自分で見つける、やりたいことは徹底してやると。でも、父がキリマンジャロに登った時も、これまで2回登頂したエベレストの時もそうですが、家族のメンバーがそれぞれの得意分野に落ち着くんですよ。たとえば姉はマネジメントや広報的な対応、兄はネット環境や通信関係の整備、僕は父を後ろからサポートするというように。
三浦雄一郎が何かやろうという時、それが大きなことであるほど、みな一丸とならなきゃいけないのですが、みんな同じ役割をしていてもダメで、それぞれが違う役割分担をこなす必要がある。これは三浦雄一郎が大きな冒険をする上で、自然とできたフォーメーションのようなものかなと思います。

大橋 普通、放任主義というと家族がてんでバラバラであるとか、あまりいい意味では使われないのですが、三浦家では子ども達がそれぞれ異なった分野で役割をもち、いざというときチームが組める。 これはどうしてだろう。雄一郎さんの力がすごいのか、それとも…。

三浦 うちの母かもしれないですね。一見、目立たないけれど、家族の中で一番力がありますからね(笑)。家族をまとめ、父の夢を支え、締めるところは締めて。

大橋 前面に出ているのは雄一郎さんや豪太君達だけど、 その後ろには三浦家の要となるお母さんがいる、これはいい話だね。

これまでの経験を糧に「冒険の遺伝子」を探る旅へ

大橋 最近の豪太君は今までの経験をもとに、人体や遺伝子など、新たな分野について勉強しているそうですね。

三浦 今、順天堂大学の加齢制御医学、いわゆるアンチエイジング について博士課程に向かっているところなんですが、僕が一番興味があるのは、自然と酸素と、人の身体の関わりです。来年のモナコの国際学会で発表を行おうと思っているのですが、人は酸素が少なくなった時に、生きようとする遺伝子が体内にあるんです。僕は低酸素に強い人と弱い人が生まれつきいるのではないかと思って、この遺伝子に注目したのですが、ほとんどの人は何らかの対応遺伝子を持っているんです。低酸素に強い、弱いという違いは遺伝子的にはほとんどないんですね。人は、環境によって強くもなり、弱くもなることがわかったことが、この遺伝子を研究していて一番面白いところです。

人類が生まれて200万年の間に、人間が自然に合わせてできた機能というのがあって、それがうまく使えていないと、不健康になるということもあります。たとえば糖尿病患者の数と、車の普及台数はまったく相関しているんですね。車の普及台数が増えると糖尿病患者数のカーブもあがってくる。
もともと人が持っていた力を、遺伝子はいろんな意味で教えてくれるんですね。

また、人はチーターよりもシカよりも、ウサギよりも足は遅いかもしれないけれど、持久力が優れていて、ほかの動物を長時間相手がバテるまで追いかけ、倒れたところでしとめる、とてもユニークな狩猟方法を行います。記憶と想像力を働かせて、この足跡はどっちの方向に向いているか、ケガをしているのはどっちの足か、オスかメスか特徴をとらえて狩猟するんですね。

記憶して想像する、あるいは想像してプランを立てて記憶する。この記憶と想像力というのは、人間の文明の成り立ちにも密接に関わっています。だとすれば、走ること一つとっても、人間にとっては非常に重要で、いろんなことを教えてくれると思います。冒険なんて無意味じゃないか、という見方もあると思うのですが、実は冒険というのも、食べる、眠る、性欲に加えて、人間の遺伝子に組み込まれているくらい強い欲求じゃないかなと僕は思っています。ですから、今勉強している遺伝子というのは、「人はなぜ冒険するのか」という僕のテーマにも関連して、非常に興味がある分野です。

大橋 冒険というのは遺伝子に組み込まれていて、その遺伝子は特定の誰かではなく、人類に普遍的に存在している。とすれば、お父さんやお母さんが我が子に対して「この子はダメだ」とか「何もできない」と言うのではなく、「この子の中にも冒険の遺伝子があるはず。それを何とか発揮させる場がないか」と、見つけてあげる努力が必要かもしれませんね。さっきも放任主義という言葉が出てきたけれど、あれをやっちゃダメ、これをやっちゃダメではなく、やりたいということをやらせてみることが大事ではないかと、改めて思いました。

三浦 僕の場合は、やれと言われるより、楽しんでやる方が10倍も20倍も学習能力が上がると思うし、いろんな形でその子どもが表現できるものがあるんじゃないかと。それに必要なのは健康的な身体と頭ではないかと思います。

大橋 今後、この遺伝子学の分野で新たに挑戦したいことはありますか。

三浦 人類がアフリカから出発して、世界中に散らばっていく過程で歩いた道を「遺伝子の旅」ということで、自分の足で歩いてみたいと思っています。今の科学で、そういう道筋が細かく分析できるようになってきているんです。
ナショナルジオグラフィックとIBMが共同で行った「ジェノグラフィック・プロジェクト」というのがあり、僕も自分の唾液を提出して調べてもらったら、僕の先祖はアフリカから出発して、中東からパキスタンに着き、天山山脈からチベット高原を横切って、 中国を経由して日本に来たそうです。
つまり、僕の先祖が見た景色というのは、まさに僕が旅しているチベット高原のあたりで、チベット人やシェルパ民族は僕の先祖のグループに所属しているんです。今回もずっとシェルパの家にお世話になっていて、信心深く、綺麗好きで日本人によく似ていて非常に親近感を覚えました。

大橋 アフリカから枝分かれして、三浦家の祖先がたどってきた通り道に自分が身をおいてみたら、 そこにいたのは、ひょっとしたら同じ祖先から枝分かれして、たまたまその地にとどまった人たちの子孫かもしれない。
大きなロマンを感じますね。

三浦 今、世界はグローバル化していると言われていますが、もっとずっと前に人類はグローバル化しているんですね。 アフリカから出発して、南米大陸の先端まで行っている訳ですから。好奇心、旅、歩く、走る、こういった人間の根本に根付いているものをうまく生かせば、いろんな夢やロマン、アドベンチャーがまだまだ生まれるんじゃないかと思います。

「満ち足りすぎない」ことが生き抜く力を育む

大橋 三浦家ではまさに命を賭けた冒険をしてきて、生きる力が試される場面も多かったと思いますが、日常の中でも、健康であるとか、伸ばしたい能力は思い切って伸ばすとか、 いろんな意味における「生きる力」が必要とされていますよね。
お父さんのエベレスト登頂をサポートし、また、冒険や遺伝子という分野を研究しておられ、ご自身も2歳のお子さんをもつ豪太君ですが、今の若い人たち、いろんな世代の子ども達から生きる力とは何か、と問われたらどう答えますか。

三浦 やはり、生きる力というのは、楽しみとか好奇心から生まれるんじゃないかな。学校が嫌いな子どもでも、好きな女の子がいるだけで学校に通いたくなりますよね。日常生活の中で、そういうほんとうに単純な楽しみを見つけられるかどうかだと思います。好奇心こそ、三浦敬三が101歳までスキーをする原動力だったと思います。長生きしたいからスキーをしていたのではなく、今日より明日、どうしたらスキーがうまくなるか、こういう楽しみを持っていたからこそ、それが生きる力になり、長寿につながったのだと思います。仕事も勉強も生きるために必要なものですが、それを続けていくために、生きる力の原動力はやはり「好き」な力じゃないかと、僕は思います。

大橋 生きる力から一歩進めてさらにいうと、「生き抜く」力というのが、今の子どもたちには、 一番欠けているかもしれません。この生き抜く力については、どう考えますか。

三浦 生き抜く、というとやはりサバイバルですよね。サバイバルとは、何が最低限必要かをわきまえることじゃないかと思います。僕が今やっている加齢制御医学から見ても、今の問題の多くは、足りないことより、むしろ足りすぎていることによるものが多いです。糖尿病もそうですし、肥満や多くの心臓病もそうです。満ち足りすぎていることが、逆にその人の命を引っ張ってしまい、生き抜けない。一方、山の中に行くと、何が最低限必要かを考える必要があります。いろんなものが揃っていればもちろん便利ですが、身軽に動けず、時には命とりにもなる。
あとはやはり、その先に何があるか、と思えることじゃないかな。今を生き抜けば、この先はもっと面白いことがあるんじゃないかということが示せれば。たとえば自殺を考えている子どもは、それが何も見えないわけですよね。普通に暮らしていれば飢えることもないし、生き抜く環境はある。ところが、そういう楽しみが見い出せず、生き抜く力が出ない場合があるのではないでしょうか。

大橋 おっしゃる通りで、一見、子どもたちが生き抜く環境は非常に整っているように見えます。親から子どもに対して、
これでもかというほど、時には過度に物を与えたり、環境を整えてあげたり。でも、満ち足り過ぎた環境を与えつつ、生き抜く力をもってほしいと思うのは、実は矛盾しているのかもしれません。

三浦 たとえば、そうやって与える環境というのが、お金をかけて砂漠に放り出すようなものだったら、面白いかもしれません(笑)。そういう機会に、何があれば生きていけるかを身体で知ったら、生き抜くことにつながるんじゃないかな。意外に、普段もってるもので役立つものってたくさんあるんですよね。たとえば、山ではペットボトル1個あっても、十分役立ちます。水がなくなっても、寝る前にテントの横に置いておけば、朝には水がたまっていて、それを飲めたりします。何が足りているか、足りないかをわかっていれば、生き抜く力に直接つながると思います。

大橋 お父さんの雄一郎さんが校長先生を務めるクラーク記念高等学校は全国に1万人の生徒がいますが、10年ほど前、この学校の生徒達がネパールで学校を作る運動をしました。現地に行ってみたら、水も大変、トイレも大変、食べ物も大変。何もかもが未体験の連続でも、そういう中に入って、足りないことを体験し、自分たちは今までわがままを言い過ぎていたと発表していた子ども達がいました。子ども達が精神的にも、物質的にも満ち足りすぎていることが、生き抜く力を弱めているかもしれませんね。また、日本の若者は、希望がない、将来になりたい職業がないということで、そういう回答が世界でも群を抜いて多いという調査もあります。生き抜く力をもっと育むためには、ただ環境を整えたり、物を与えるだけでなく、ほんとうに何が必要か、今の教育でもっともっとそういうことを、保護者や先生が語り合ってみないといけないかもしれませんね。

三浦 ただ、やはり、「恵まれ過ぎている」と口でどんなに言われても、子ども達が自分で体験しないとわからないというのはあります。たとえば、喉の乾きというのは何よりも苦痛で、山から降りて来て、喉と喉がひっつきそうな時に、どんなにたくさんのお金より一杯の水が貴重だと思うか、とか。そうやって水の大切さを知ったら、家でも歯みがきをするとき、自然と水を出しっぱなしにしたりしなくなりますよね。
だから、身体を通じてわかるというのはすごく大きいと思うんですよ。

大橋 まさに体験教育ですね。確かに、そういう部分が今の日本の教育には欠けているかもしれません。そういう意味では、豪太君はお父さんやおじいさんから受け継いだ行動力と、いろいろな冒険から生き抜く力を培ってきたわけで、今後は社会還元という意味でも、その経験を体験教育に生かしていってもらえたら素晴らしいと思います。今日は、いろいろなお話をどうもありがとうございました。(了)

 

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