大橋博理事長 × 汐見稔幸先生 対談

家庭を上手に運営していく基礎能力が「ファミリーリテラシー」。
これだという正解はなく、人間の知恵が最も発揮される場だと思います。(汐見)

大橋節 今回は、東京大学大学院教育学研究科教授を経て、現在白梅学園大学学長の汐見稔幸先生をお迎えしました。汐見先生は教育学を出産、育児を含んだ人間形成の学びとして捉えられており、実際3人のお子さんの育児経験から、父親の育児参加も呼びかけられています。今回の対談では、10年来ご指導をいただいております こども教育支援財団ディレクターの東宏行先生にもご参加いただき、これまで財団が行ってきた支援活動等をご紹介いただきます。

それでは、大橋博理事長に家庭の教育力をテーマに、子どもとの関わり、保護者へのアドバイス等、いろいろな角度からお話を伺っていただきます。

大橋 今日は汐見先生にいくつかお尋ねしたいことがあるんですが、一つは「家庭の教育力」についてです。「家庭と社会に教育力がなくなった」とずっと言われていますが、先生のお考えはいかがでしょうか。

汐見 先日、文部科学省でこれまでの家庭教育支援を総括して課題を明確にするための委員会が開かれ、3月末に報告書を出しました。私は座長を務めたんですが、その中に「家庭の教育力が低下したという文言は、不正確であるから安易に使わないようにしよう」といった文言が入りました。

昔から「家庭の教育力」と言われていたものは、両親が子どもに仕事を手伝わせたり、おじいちゃんおばあちゃんの世話をしたり、子ども同士が地域社会の中で親類縁者に託され、お互いに遊び仲間として切磋琢磨し合い、生活全体に子どもを巻き込みながら教育していったことなんですね。その間、子どもは豊かな体験をしているけれども、親たちは自分の仕事があり、意識的に育てているわけではなく、むしろ子どもたちが自分たちで育つような環境があったと。その総体が「家庭の教育力」なんですね。かつて子どもは走り回る事によって身体を鍛え、みんなで群れることで社会性を、仕事を手伝うことで忍耐力や責任感を鍛えましたが、核家族が中心となった今、それらをどう育てるかはすべて親の手に委ねられているわけです。家庭の中の仕事に子どもを巻き込むこともなくなりましたし、地域社会で子ども同士が群れて遊ぶこともほとんど不可能、親はどうしても口だけで、ああしなさいこうしなさいという形になります。子どもが生活全体の中で育っていた頃、母親が担う役割はもっと少なくて済んだんです。ところが今は子どもを育てる上で母親の責任がぐっと広がってしまい、子どもがうまく育たないと母親が責められるわけですね。家庭の教育という点で見れば、親は以前よりもっと一生懸命なんです。どうしていいかわからないし、何の訓練も受けていない。たまったストレスを井戸端会議で発散することもできず、中にはそこから逃げ出す親やアウトソーシングして人に委ねる親もいますが、ほとんどの親は環境が変わった中で「それでも私が育てなきゃいけない」と必死に頑張っています。でも人類史的に見ると、今までの長い歴史の中で、親だけの手で子どもの頭も心も身体も全部育てなきゃいけない時代はありませんでした。生活に巻き込み、子どもが集団の中で切磋琢磨するという今までの育て方が、現代では初めてできなくなっているわけです。その分、全部母親の肩にかかってしまい、過剰な負担を強いられて苦しんでいると。子どもが授業中などに上手に座っていられないなどの問題も当然出てきますが、自覚や能力がないからだという単純な問題ではなく、そこで母親を責めたり、「家庭の教育力が弱くなったためだ。もっと強化しろ」となったら、もっと母親にがんばりなさいということになり、母親はますます追いつめられます。だから、家庭は上手に支援していかなければいけない。母親や父親でないとできないことはきっちりやってほしいけれど、子どものわんぱくさを育てたり、社会性を鍛えるには、むしろ子ども同士で遊ばせた方がよかったり、いろんな冒険をさせてやった方がいいわけです。そういう環境を社会が提供していくことによって家庭を応援してあげないと、家庭本来の機能がなかなか果たせないだろうと思います。

家庭を単なる「消費生活の場」に
しない知恵が今、求められている

大橋 教育というと、先生がいて、机があって、教科書があって…といったことをイメージしがちですが、今のお話にあったように、家庭教育というのは生活全体の中で身をもって学ぶということですね。僕が小さい時、よく覚えているのは朝になったら家族みんなで自分のふとんをたたんで、押し入れに入れていたことです。今はベッドを使う家庭が多いですが、一週間に一回でいいからマットやふとんをはがして日にあてるといったことも、やる気になればできるような気がするんですが。

汐見 野菜も刻んで売っている時代ですから、家庭が消費社会の一番の対象になっているわけですね。忙しいと食事も買って済まそうとなるし、ふとんも毎日上げ下げするより、ベッドの方が楽だということになる。それは親が選択しているというより、それしか選択肢がないような社会になってしまっているわけです。ある程度、そういう社会の論理に抵抗しないと、子どもが豊かな体験をして育つ環境は作れないように思います。  僕の友人は土日だけ家に帰るんですが、最初に家族全員で掃除をして、みんなで洗濯物を干すのを週1回の習慣にしてるんです。そういう風に一緒に仕事をすることで「家族している」という実感が湧くんですね。消費生活を送っているだけではそう感じることはできません。

今は放っておくと、楽な方へ楽な方へと流れてしまう。ですから、週に1度はお前がご飯を作れよとか、みんなで洗濯物をたたむとか、そういうことを意識的にすることによって、家庭の教育力は生まれると思います。いくら生活が便利になっても手づくりの部分を残すなど、子どもとの関わり方や家事について、家庭を上手に運営していく基礎能力のことを私は「ファミリーリテラシー」と呼んでいます。子どもが育っていくためには仕事が必要なんです。でも親がやらないで、お前だけやれって言ってもダメです。一緒に何かをする時間を作るとか、ノーテレビデーを作るとか、絵本の読み聞かせを習慣にするとか、その大切さをちゃんと親に伝え、実際にそうすると「子どもっていい顔するでしょう」と効果をわかってもらう。家庭を単に消費生活の場にしない知恵というんでしょうかね。その能力を育てることを私たちの仕事として考えなければいけないと思っています。

大橋 とてもいいお話を聞かせていただきました。よく主婦の方と話していると「最高のご馳走は後始末をしなくていい食事」という言葉を聞くんですね。だったら、お腹いっぱいになってから片付けをするお母さんの体験を子どもにも一度させてみると。お母さんはすごいな、お腹いっぱいなのに片付けもして大変だなと感じるきっかけになるかもしれません。

ところで、東先生にはこども教育支援財団に10年関わっていただいています。財団もこれから新しい形での活動を増やさないといけないと思うんですが、このファミリーリテラシーのような考え方を、各家庭にもっと我々がPRしていくのはどうかと思うのですが。

 そういうことができたらいいですよね。今までの財団は、不登校の子どもの支援を相当行ってきています。財団の良さは現場の若い人たちのアイデアを使ってどんどんやらせてくれることなんですよ。また、不登校の子を持つ保護者の人たちが一緒に手伝うのもすごくいいなと思いますね。

たとえば横浜では、日本丸の前で屋台を作ってバザーを企画しました。最初は子どもたちだけでやっていましたが、そのうちお母さんが、そしてお父さんも来るんですよ。そこでいろんな子どもに語りかけたり、親たちができることがあるんじゃないかと動き出すんですよね。不登校の子どもを持つと、どうしても親は滅入りがちで元気をなくしてしまうんですが、活動に一緒に参加する中で、親子関係が変わっていったり、子どもだけじゃなく、親も元気になると僕は見ていて感じましたね。

大橋 不登校という切実な問題があると、母親はもちろん父親も参加しようという気になるんですが、一般的な家庭は、なかなか難しいですね。そういう意味では汐見先生がおっしゃったように、週に1度は家族みんなで掃除をするといったことを意識的にすることが必要かもしれません。

汐見 僕が言うファミリーリテラシーは、初めから決まった形があるわけではなく、それぞれの家の実情やサイズに応じて、それぞれが作り出していくものだと思っているんです。

さっき理事長のお話に出た「最高のご馳走は後始末をしなくていい食事」というのは。すごくよく気持ちがわかります。やはり誰かが食器を洗わないといけないわけで、女の人が作ったから食器を洗うのも女の人、というのは男の勝手な論理ですよね。だいぶうちの家庭でもすったもんだがあったんです(笑)。家庭というのは、少なくともそのなかではみんなが平等でありたいと思っていて、私が食器洗いをしたくないなら、妻もやりたくないわけです。だったら二人で一緒に洗った方が早く済むし、それしか解決策がないじゃないかと。こうして「洗い物は一緒にする」という結論に至りました。

大橋 それは、先生が家庭で実際に経験されたことだったんですね。

汐見 そうなんです。自分がやりたくないと思ったことは妻もやりたくないし、妻がやりたいと思ってることは、私もやりたいと思っている。だったら相談しかないと。そこに到達するまで大分時間はかかったんですが、これも一つのファミリーリテラシーで、僕はそこに子どもも巻き込んでいったらいいと思うんです。

うちの妻はもともと看護士志望だったんですが、看護学校を途中で辞めざるを得なくなり、僕と結婚した時は保育士をやっていましたが、身体を悪くして続けられなくなったんです。僕が大学院にいる時に子どもができて、近所の子どもの勉強を見て何とかやってたんですけど、妻はこれで一生を終わりたくない、大学できちんと勉強したいと思っていました。

それで3人の子どもを産んで一生懸命育てて、一番下の子どもが5年生になった時に家族を集め、満を持したように「私、大学に行く」と言い出したんですね。その時、一番上の子は高1、2番目は中1でした。「あなたたちが大分大きくなったから、お母さんはそろそろ自分の一生のことを考えたい。多分今しかチャンスがないと思うから、42歳になったら大学に行かせてほしい。みんなの迷惑にならないように夜間の大学に行くから」と。そしたら末っ子が「夜うちにいないの? それはダメだよ」。ほかの子も、昼に大学に行って夜は家にいた方がいいということで、日本女子大の昼間部に4年間行きました。

当時、私は「私の妻は女子大生です」なんて言ってたんですが(笑)、期末試験とかありますよね。その時期は妻も子ども3人も試験で、ご飯をつくるのは僕しかいないんです。それを支えて乗り切るには、新しい役割分担を考えるしかない。妻は46歳まで大学に行って、立教の大学院にも行きました。子どもは大きくなりますから、世話をする必要がなくなってくるけど、今度は誰がその学費を支えるかなどの問題が出てきます。そういうことを含めて、僕は家庭というのは子どもが成長したり、病気したり、いろいろな課題が次から次へ押し寄せて来る場だと思うんです。

そういう時にどう乗り越えたら一番合理的にいくかをいつもワイワイ議論する。それを冷静で合理的にやれるかどうかがファミリーリテラシーだと思います。昔の親はいばっていたらよかったんですが、その時に、男だから女だから、あるいは父親だから母親だからということにこだわってしまうと、合理的な解決はできません。

そういう意味では今、家庭を上手に切り盛りすることは人間の知恵が一番発揮される場なんです。うまいファミリーリテラシーを身につければ、これほど幸せな人生はないけれど、変に「こうあるべき」とこだわってしまうと苦しくなってしまう。ファミリーリテラシーとは、自分たちで作っていくもので、誰かが与えてくれるものをその通りやればいいというものではないと感じますね。

「人生は20 年×4 回」と考えると
やり直しはいくらでもできる

大橋 先生の奥様が40歳を過ぎて、夜間ではなく昼間部の大学に行かれたこと、すべてハッピーなお話に聞こえますが、奥様にとっては、かつて看護学校を辞めなければいけない時代があり、人生がこれからどうなるのか、先が見えない不安もあったと思います。その時は不幸だと思ったかもしれないけど、人生は十分取り戻しがきくということですよね。

今、問題を抱えている家庭もいっぱいあると思います。しかし、今あることが不幸で、うまくいかないから先も暗いと思うのではなく、まだまだチャンスがあると考えることができればいいですよね

汐見 人生は長くなり、女性は80年以上生きるわけでしょう。18歳になった時だけ大学に行くのもおかしいと思うんですよ。僕は20年×4回説というのを唱えたことがあって、人間はダラダラと80年生きるよりは、20年を4回生きると考えた方が締まりが生まれます。最初の20年は自分でどういう人生を送るかを考え、一生懸命勉強する。次の20年で結婚したり就職したり、子どもを作ったりして、自分の人生はこれだと思って生きていく。

そして40歳を過ぎると、それでよかったのかということを一度考える。結婚生活をさらに続けますかとかね(笑)。それも一つの家族の営み方、ファミリーリテラシーだと思います。結婚したらこういうものだと決めつけることによって、不自由になってしまっているんじゃないでしょうか。よかったと思う人は次の20年をそのまま生きていけはいい。でも、自分のやりたかったことはこれじゃないと思った人は、もう一度準備をしながら、新しいものにチャレンジしたらどうかと。そして最後の20年はどうやって社会に恩返ししたらいいかと考えながら生きればいいと。僕は妻を偉いと思ってるんです。42歳になって大学に行って、52歳になって初めて大学に就職したんですから。その間、ずっと自分は中途半端な人生を送って来たと思っていたと思うんです。でも子育てを一生懸命やって、目処がついたら、次にチャレンジすると。大学は別に18歳でなくても、40歳過ぎても行けるということを地でいったのは、決意も要ったと思います。子どもはそういう姿を見て、お母ちゃんは頑張ってると思うわけで、それはすごくいい影響を与えるんです。

大橋 うちの妻も身体が悪くて、高校にあまり行けませんでした。だから、大学も行けなかったんですが、56歳で近所の大学院に行って、研究生をしながら大学を出たものと同等の評価を得るものを書きなさいと言われて通って、私もお母ちゃん偉いと思いますね。さっき、先生がおっしゃった20年×4回という考え方もすごくいいなと。どこかで自分の人生の切り替えができるし、励みになりますよね。

汐見 長くなった人生を使う知恵というか、惰性で生きないで目処をつけられますよね。それも僕は一つのファミリーリテラシーだと思うんです。

大橋 そういう意味では、小中学校という義務教育だけでなく、高等学校になっても、まだ夢は持てるし、やり直しが効くということですね。

汐見 僕は自分が高校だった頃、今でいう不登校児だったんです。越境していわゆる進学校に行かされたんですが、僕は大阪の堺でまったく違う環境で育ってきたので、受験がすべてで、とにかく大学に入れるか入れないかが重要という雰囲気がまったく合わず、すごく嫌だったんです。

それに、自分が何のために勉強するのかはっきりしないとやる気がしなくて、高校1年の6月には一切、学校の勉強に興味をなくしてしまい、それ以降全然勉強しなくなりました。当時は不登校という習慣はなかったので、学校には行くんだけれども、何のためにここにいるんだろう、何のために生きてるんだろうと考えていて。その代わり、自分が好きだった万葉集を全部覚えてみたりしていました。

そういう時に幼なじみたちと電車の中で会ったら、丁稚奉公に行ってたり、寿司屋で働いていたり、ほとんどが中卒で就職しているんですね。そうしたいわけじゃないけど、そう生きざるを得ない。僕は16歳で働かなきゃいけないこともないし、大学に行けばいろいろ可能性がある。自分がそういう道に進み、彼らはできないことをよしとできなかったんです。一言で言うと、人間って平等なのかという問いにとりつかれたわけです。

3年生になった時に高校にいる意味がないんじゃないか、もう辞めようかと思うと担任に相談に行ったら「辞めるのは簡単やけど、お前に何かやれることあるんちがうか」と言われ、修学旅行中の4日間ずっと考えて、戻ったときに「そうだ、こういう高校を変えればいいんだ」と。

それで3年生の時、生徒会に立候補したんです。高校ってこんなものじゃない、僕らはもっといろんな悩みを持っているし、色々考えることができるはずなのにそういう雰囲気がまったくない、こういう高校が本当の高校とは思えないと言ったら、変わった奴がいると見られて。結局、進学校だから誰もやらないんです。僕ひとりだけ。校長室に行って机を叩いては「先生、こんな高校でいいんですか」とか言って、校長はそのうち逃げ回るようになって(笑)。そういうことをすることで、高校生活を無駄にしたくなかったという思いもありました。

そして改めて自分は何をしたいのかと考え、星が好きだったからロケットを上げたいと。それで糸川英夫博士のところに行きたいと思って、浪人して1年間がむしゃらに勉強したわけです。

僕も高校時代にすごく悩んだけど、今の子どもたちにはもっと可能性があります。でも選択肢が増えたということは、ぴったりくるものがなかなかわからないということでもあるわけですね。18歳で人生を選ぶというのは、とても難しいと思います。だから高校も決まらなかったら、4年でも5年でも行ってもいいと。その代わり、日本の中にずっといないで、外国で1年暮らしていろんなものを見るとか、自分が何をやったら有意義な人生を過ごせるか、考える時間があればいいと思いますね。

将来の選択肢は一つだけではない
さらに一歩先を見る目を養いたい

大橋 うちの高等学校も1年のうち10 ヶ月、留年しないで外国に行けるんです。オーストラリアにたくさんの子どもが行くんですが、家庭を離れてホームステイするんですね。ステイ先の家庭では食事のお世話や庭の芝刈りなど、いろんなお手伝いをして親のいないところで友だちと一緒に成長して、すごく大人になって帰ってくるのでびっくりします。

こども教育支援財団には、不登校になった子どもたちも来るじゃないですか。親は「うちの子は高校を卒業できるのか、大学に行けるんだろうか。就職は、結婚は」と、ずっと先まで考えて不安になりがちです。汐見先生は今、東大の名誉教授だから、こうしてきれいなお話として過去を話せるけれども、今悩んでいる子の中から、ひょっとしたら東大の先生が出るかもしれない。そう考えると今、そんなに慌てなくてもと思うんですね。

汐見 そういう子たちに活動する場とか、何かをするチャンスを与えればできることがいっぱいあると思います。

大橋 そういう意味では、ただ「学校に行かない」で終わるのではなく、じゃあ次はどうする、というところまで考えられるようになると、学校に行けない子たちがもっと前向きになるかもしれません。学校は嫌だというところでとどまって、とじこもってしまうのはもったいないですよね。

 それはありますね。僕が教育センターにいた時、不登校だった子が、財団と姉妹関係にあるクラーク記念国際高等学校という通信制の学校に行ったんです。ここは、子どもたちがやりたいことを非常にやらせてくれる学校だったんですね。もう、その子は人が変わっちゃいましてね。生徒会をやったり、動物を飼育するクラブを自分で作ったりしたんです。あの子がどうしてこうなるのかとびっくりしたんです。

高校というのは認可を受けるために、いろんな足かせがあるじゃないですか。でも通信制高校はそういう意味で自由さがあって、いろんなものを教育内容として取り入れている点が全然違うなと思います。

大橋 東京キャンパスには歌を歌ったり、踊ったり、演劇をしたりするパフォーマンスコースというのがあります。中学が嫌だった子たちが入ってくるんですが、本当に不登校だったのかと信じられないくらい明るくて、大きな声で語り、友だち同士仲が良いんですね。こういう子たちが、何かのチャンスにいいものを自分で選びとるか、誰かからもらうことで、自分の生きる道が見つかるかもしれない。学校は嫌だと思っても、頑張ってみたら次の道が見つかるということをもう少し、汐見先生にいろんなところで発言していただくといいなと。

汐見 その子にふさわしい、何か模索できる場を与えてあげられればいいですね。

料理は家庭の最高の文化であり
コミュニケーションにつながる

 たまプラーザのクラーク国際記念高等学校は生徒が女子のみですが、料理に特化しているんです。これも驚きでしたね。

調理師免許を取ることが目的ではないんですが、料理を中心にしたカリキュラムを組んでいて、有名なパティシエが指導に来て一緒にクッキー作ったりしてます。今まで見せなかった才能を発揮する子もいたりして、料理はやはりすごいと思いますね。料理のように、いろんな子どもたちを惹き付ける文化を中心に置いたカリキュラムを用意するというのは、これからすごく必要だと思うんですね。


汐見 料理は最高の文化ですよ。家庭で子どもに手伝わせるのに一番いいのはやはり食事作りですね。オリジナルのものを作ってみようとか、一緒に食べておいしいねと言い合ったりしていれば、単なる消費生活にはならないと思います。そういうチャンスを与えず、買ったもので、できるだけ短い時間で済ませようとすると、発見をするチャンスが奪われてしまう。

僕は今の社会の特徴は文明と文化の衝突だと考えています。文化は英語ではカルチャーと言いますが、もともと農業って意味ですよね。なぜ土を耕すことが文化という意味になったかというと、一生懸命耕して肥やしや水をやったりするのは、いい土を作って実りを豊かにしたいと。つまり手間ひまかけて、できるだけ丁寧にいいもの、価値あるものを作っていくのが文化であり、そうしてできたものは自分の作品であると。

一方、文明というのは、私たちの欲求をできるだけ楽に実現してくれるための装置なんです。飛行機にしても電気にしてもそうで、すごく生活が楽になったことは事実なんですよ。文明の本質はできるだけ楽に欲求を手に入れると。一方、文化は手間ひまはかけるけど、いいものを作る。向かう方向が逆向きなんですよね。

今日はおいしい食材をもらったから、何か作って食べようとか、お父ちゃんが一緒にいるから食べようとか、手間ひまかけて価値あるものを作るという意味で、料理というのは家庭の最高の文化なんです。買って来てチンして食べるというのは、手間ひまかけないから文明なんです。今は文明としての食事が家庭に入りこんできて、文化としての楽しみ方が今、放逐されようとしているということなんです。

やはり、家族の絆というのは、買って来たものを黙って食べているのではなく、一緒に作って、おいしいねとか、これってどういう料理とか言い合う方が作れるわけです。

確かに文明も大事で、それがないと生活できないけれど、家庭のリテラシーを深めるためには、その中に上手に文化というものを位置づけていくことも知恵であり、そういう意味で一番わかりやすいのが料理だと思います。

大橋 ファストフード、スローフードという言葉は主に健康の観点からさかんに言われますが、違った意味から、先生がおっしゃったような形でとらえても、すごく意味があると思いますね。

汐見 みんなでおいしいものを作り合うほど、うれしいことはないですよ。成果がすぐ出て、上達性もあり、失敗がどうかもわかるじゃないですか。意外なところで意外な人がすごいものを作るとか、そういう意外性や上達性って全部文化の条件なんですよ。だから料理は最高の文化だと。学校で料理をやっているというのは、いいところに目をつけているなと思います。

 不登校の子どもとどうやって会話したらいいかわからない父親が財団に来ていて。「何でもいいので、お父さん、おうちでできることをやってみませんか」と言って、そのお父さんが家で作ったのが、学生時代にアルバイトで作っていた広島風のお好み焼きなんです。作る最中、ほとんど会話はなかったようなんですが、普段はゲームしかしていなかった子どもが、家でお父さんがお好み焼きを作る姿を見て、手伝いはじめるわけです。お好み焼きの類いはいろんな種類があるので、調べはじめたりして。

その子はある意味ひきこもりで、全然外に出ていなかったのですが、「材料を買いに行きたい」と。昼間は人がいるから嫌で、閉店間際に連れて行って欲しいと言って、それが久々に外に出たきっかけになったんですね。特に会話はしなかったんだけど、お好み焼きを作ってみせることで会話が成り立っていたんですね。料理のように「ものを作る」ことには、すごい威力があるなと思いましたね。そういうことが、もっと学校の中でできたらいいなと思います。

教育の原点は人と人との出会い
後ろから温かく見守るのが教師の役割

汐見 昔、自分の親父が屋台のラーメン屋をやっていることが嫌だったちょっと突っ張った中学生がいました。ある時、親父さんに「今日は俺のラーメンを食べにこい」と連れて行かれ、一生懸命作ってお客さんに出している姿を見たわけです。おいしいラーメンを食べるときのお客さんのおいしそうな表情や、すごくいい顔してお金置いてってくれるとか、そういうのを見て、子どもと親父との関係がその一晩で変わってしまったと。一生懸命な親父さんと喜んでくれるお客さんの姿を見た時に、親父さんが屋台のラーメン屋をやってることが逆に誇りになったんですね。

大橋 今のお二人の話に共通しているのは、対話というのは必ずしも言葉ではないということですね。言葉を交わすのが対話だと皆思っているけど、そうではない。生活そのものの中に対話があるということですよね。

汐見 言葉でする対話は、議論の練習になると思うんです。ただ「俺の言うこと聞け」というのではなく、「お前はどうしてそう思うんだ」という風な会話をしていると、子どもも相手の言葉はちゃんと聞かなきゃいかんと思います。遠慮なくやって相手を無視していると、社会に出たら困るわけですから。でも、無言の会話ってあるじゃないですか。これは家族ならではの対話なんですね。

大橋 「何分間子どもと話をしましたか」と数字を発表したり、そういうことが対話だとするような考えが強過ぎるような気がしますね。そうではなくて、先生がおっしゃるように、一つのことを一緒にする間、話はしないけど無言の会話がある、ということも大事かもしれませんね。

大橋節 私は今大学院で、人文科学総合研究科人間教育学コースという所に所属しています。人間教育学という言葉はよく聞きますが、汐見先生の経歴を拝見しますと、「教育人間学」とあります。聞き慣れない言葉だと思うのですが、この教育人間学とはどういう学問なのでしょうか。

汐見 哲学の一分野に、アントロポロジーという学問かあります。アントローポスというのは人間という意味で、日本では「文化人類学」と訳す場合と「人間学」と訳す場合があります。僕はロケットを上げようと思って大学に入ったけど、もう糸川英夫先生がいなかったので、授業に全然行かずにとじこもって自分は何をやりたいのかまた考えていたんですね。それで、平等とは何かを悩んでいたんだから、人間について、ある程度納得するまで勉強した方がいいんじゃないかと思い、教育学部に移ったんです。

人間は何のために生きてるんだろうとか、学ぶって一体なんなのか、教育ってそもそも何かと。僕は個人的には教育されたとあまり思っていなくて、自分で七転八倒しながら生きて来たと思っていますが、改めて振り返ると小学1年から高校3年の間に担任の家には何回も遊びに行っていて、高校で嫌われ者の教師のところにわざわざ行ったりもしていました。どうしてかと改めて考えると、僕は教師の教え方などではなく、その人の人間性に出会いたかったのかもしれないと。教育というのは、この人と出会ってやる気が湧いてきたとか、こういう生き方をしている人がいるんだ、僕も負けられないと感じたりと、人と人の出会いを保証してくれるものではないかと思います。あっちへぶつかりこっちにぶつかり自分を作るのは自分であり、それを後ろの方で温かく見守ってくれるのが教師ではないかなと。要するに出来るだけ原点に戻って、人間は本当に教育を必要としているのか、教育は人間をよくするのか、不登校にはなぜ「不」という文字がつくのか、親子や家族とはそもそもなんなのか、そういうことを考えて、人を育てるという視点からまとめる学問を教育人間学と言っているわけです。教育を人間学の視点から考えるということですね。

大橋 興味深い学問ですね。まだまだ話題は尽きませんが、また機会がありましたら、お話を伺いたいと思います。ありがとうございました。(了)

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