第4回子ども作文コンクール

■第4回子ども作文コンクール応募点数
ブロック 東日本 西日本 海外 合計
小学1~3年生の部 101 70 84 255
小学4~6年生の部 104 238 40 382
中学生の部 1071 306 41 1418
合計 1276 614 165 2055

今年は国内からは1890点、海外は16の国から165点の作品が集まりました。
2022年11月20日にJPタワー ホール&カンファレンスにて、表彰式を開催しました。第14回環境教育ポスターコンクール表彰式との同時開催です。会場には受賞作品が展示され、審査委員による講評も同時に掲載されました。

会場の様子 展示の様子

子ども作文コンクール表彰式では、受賞者に表彰状・副賞が授与されました。授与後、受賞者の代表者から、受賞した作文を朗読していただきました。

作文授与の様子 作文朗読の様子

受賞者による作文朗読の様子はこちらの動画でご覧いただけます。

  • 【文部科学大臣賞】
  • 静岡サレジオ小学校2年 中村 陽南
  • ホライゾン学園仙台小学校6年 八月朔日 葵香
  • 小金井市立東中学校3年 滝澤 あかり

式の最後に、審査委員長のおおたとしまさ様より、作品全体の講評をいただきました。

受賞者の皆様、おめでとうございます。

このコンクールは今年で4回目で、2055点の作品が集まりました。応募いただいた皆様にお礼を申し上げます。審査委員メンバーで集まって楽しく議論しながら賞を決めさせていただきました。受賞された作品はどれも素晴らしい作品ですが、受賞作品以外にも、たくさんの素晴らしい作品がありました。ですから、今日ここにきていただいた方は、2055点の作品の代表として賞を受け取った、と思っていただければありがたいです。

審査を通して、私もたくさんの「先生」に出会うことができます。皆さんの作文が、皆さんの「先生」を私に紹介してくれるわけです。また、一応私は文を書くプロなのですが、皆さんの作文を読んで、「私もこんな文章が書けるようになりたいなあ」と思いました。つまり皆さんは私の文章の「先生」です。

「文は人なり」という言葉があります。文章のたたずまいをみると、その人のたたずまいも分かる、という意味です。私は、この言葉にはもうひとつ意味があるのではないかと解釈しています。すなわち、文章を書くことによってその人が作られていく、という面があるのではないか。

そういう意味で皆さんに気をつけてほしいことがあります。「人から褒められること」を目的にした文章は書かないようにしてほしいです。そういう書き方をしていると、文章から自分がいなくなってしまいます。そういう文章ばかり書いていると、どんどん自分が分からなくなってしまいます。そうではなくて、本当に自分が思ったこと、感じたこと、信じることだけを書くようにしてください。そうすると、皆さんが皆さんらしく大きくなっていけると思います。

作文文科大臣賞の記念写真作文おおた委員長講評の様子

第4回子ども作文コンクール:受賞作品と審査員講評

ポスターコンクール・公募展の受賞作品はこちらをご覧ください。

【受賞者一覧】※受賞者名をクリックするとその作文に移動します。

文部科学
大臣賞
小学1~3年生の部 静岡サレジオ小学校 中村 陽南
小学4~6年生の部 ホライゾン学園仙台小学校 八月朔日 葵香
中学生の部 小金井市立東中学校 滝澤 あかり
学研賞 小学1~3年生の部 墨田区立二葉小学校 村杉 瑠美
小学4~6年生の部 大阪府立堺聴覚支援学校 舩木 匠
中学生の部 川崎市立宮崎中学校 一條 友織
金賞 小学1~3年生の部 さいたま市立柏崎小学校 沖田 典
小学4~6年生の部 武蔵野市立境南小学校 松坂 香凛
中学生の部 渋谷教育学園渋谷中学校 沖田 樹音
銀賞 小学1~3年生の部 西武学園文理小学校 宇野 颯汰
小学4~6年生の部 羽島市立竹鼻小学校 淺野 智恵
中学生の部 板橋区立加賀中学校 町田 杏奈
銅賞 小学1~3年生の部 智辯学園和歌山小学校 延與 晟一良
小学4~6年生の部 敬愛小学校 安田 彩乃
中学生の部 横浜市立早渕中学校 日向野 蒼空
入賞 小学1~3年生の部 古河市立古河第二小学校 佐藤 亘紀
小学4~6年生の部 牛久市立ひたち野うしく小学校 橋本 楓音
小学4~6年生の部 東京農業大学稲花小学校 山岡 真桜
中学生の部 東京都立大泉高等学校附属中学校 大場 美遥
中学生の部 東京都立大泉高等学校附属中学校 萩原 結季
中学生の部 千葉市立緑町中学校 春木 陽向
中学生の部 広島大学附属福山中学校 加藤 里桜
中学生の部 周南市立富田中学校 上村 玲菜
海外賞 小学1~3年生の部 サン・ジェルマン・アン・レー
日本語補習授業校
アップ 咲織
小学4~6年生の部 オタワ補習校 間宮 陽優吾
中学生の部 オタワ補習校 田中 莉於奈

■ 文部科学大臣賞

小学1~3年生の部

お母さん先生
静岡サレジオ小学校 二年 中村 陽南

わたしの先生は、お母さんです。学校にはたんにんの先生がいます。いえでの先生はお母さんです。お母さん先生は、いつもわたしのみかたです。いやなしゅくだいも、さいごまでできると、しんじてくれます。べんきょうをおしえてくれるだけではなくて、ゆう気とげんきになるほうほうをおしえてくれます。学校でいやなことがあったときは、お母さん先生に話をしてどうやったら自分の心がもとにもどるかかんがえます。

わたしは、お母さんに自分の気もちがつたわるように、わたしの気もちを分けています。たとえば、学校や友だちのことを話したり、おいしいものを分けてあげたり、外で見つけたきれいな花をもってかえってあげたりします。

お母さんは、おばあちゃんがプレゼントしてくれました。だからおばあちゃん先生もだいじにしています。おばあちゃんをプレゼントしてくれたひいおばあちゃん先生もだいじです。だいじなものは、たくさんのものとつながっています。そのだいじなものとつながっているわたしもだいじなのだと、お母さん先生はおしえてくれました。

わたしは自分で自分を大切にしながら、まわりの人を大切にできるお母さん先生のようになりたいです。大きくなるのが楽しみです。

【中村さんの作品に対する講評】

まっすぐな文章ぶんしょうけますね。まっすぐな文章というのは、自分の気持きもちやかんがえを素直すなおに書けている文章です。そういう文章はむ人の心にまっすぐとどきます。この作文から、お母さん先生のまっすぐな愛情あいじょうつたわってきます。「上手じょうずに見せよう」という気持ちがあるとなかなかそういう文章は書けません。これからもまっすぐな文章が書ける人でいてください。

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小学4~6年生の部

お花屋の洋子さん
ホライゾン学園仙台小学校 六年  八月朔日 葵香

「いらっしゃいませ」

ふんわりと心地がよい声でむかえてくれる洋子さん。私の家の近くで小さなお花屋を開いています。洋子さんとの出会いは三年前です。私が今、住んでいる家に引っ越しをした同じ頃に、洋子さんの和やかで笑顔あふれるお花屋も開店しました。
「引っ越してきたばかりで……」
と言った私達に、洋子さんはひまわりが印象的なブーケを作ってくれました。早速、ダイニングにかざりました。荷ほどきでダンボールだらけの殺風景な家の中が明るくはなやかな雰囲気になりました。
「もっとお花が似合う部屋になるように、片づけをがんばらなくちゃね」
少し疲れていた母の顔に元気がもどってきました。その時、洋子さんはお花で笑顔や元気を引き出し、人の心を温かくする達人だなと私は思いました。

洋子さんのお店には、定番の季節の花以外に珍しい花がたくさん置いてあり、用事もないのにお店をのぞいてみたくなります。
「この花の名前は何といいますか?」
と、私はついつい、洋子さんを質問責めにしてしまいます。忙しいのに洋子さんは、
「この花で、あざやかだけどさわやかさもあるグラスブーケを作るのを考えているの」
と丁寧に答えてくれます。忙しいとイライラして険しい顔になる母とは大違いです。

そんな洋子さんが今年一月に脳の病気で入院するため、一時休業することになりました。検査、治療内容により復帰する時期は未定と聞き、十二月三十日、私は居ても立ってもいられずおこづかいを持ってお店に走りました。
「心配をかけてごめんなさいね」
と、洋子さんは笑顔で雪柳の枝を三本持たせてくれました。一月に入り、私は心配で気分が晴れません。明りのついていないお店の前を通ると余計、心が落ち着きません。そんな中、大きな花びんに生けてある雪柳が、ポンポンと小さく可れんな白い花をつけはじめました。一週間後には枝をうめつくすほど沢山の花が咲きました。まるで洋子さんが、
「大丈夫よ。元気でがんばっているわ」
と言っているように感じました。元気に咲き続ける白い花をみて私の心に温かみのある何かが広がってきます。
「メソメソしていられない。笑顔! 笑顔!」
 三月、色とりどりの春の花にかこまれたお店で洋子さんと再会できました。洋子さんは私をだきしめてくれました。洋子さんのエプロンからは、ほっとするミモザの香りがします。次々と訪れるお客さんも、洋子さんと笑顔でだきあいます。洋子さんはみんなの心に笑顔の花を咲かせていきます。その洋子さんの姿は花の美しさにも負けない笑顔を引き出す世界一の先生にみえました。

【八月朔日さんの作品に対する講評】

「起承転結」の4つの段落 ―<お花屋の洋子さんとの出逢い⇒洋子さんとの心温まる交流⇒洋子さん大病で入院⇒洋子さんの快復>― から構成された秀逸な作文です。文字遣い・言葉遣いがよくねられています。オノマトペを巧みに駆使して季節の移ろいと洋子さんの病状を表現しています。登場する花の色の鮮やかさや香りまでがにおいたつようです。葵香さんの不安は、洋子さんがくれた雪柳の花が「枝をうめつくすほど」満開になって一気に消え去ります。そして、春。「三月、色とりどりの春の花にかこまれたお店」で、大病から快復した洋子さんが葵香さんをだきしめてくれた! そのとき、洋子さんのエプロンからミモザの香りが匂い立ちます。この語りは圧巻です。大病から快復した「洋子さんの姿は花の美しさにも負けない笑顔を引き出す世界一の先生」と締めくくるまでを、息継ぎの暇も与えぬほど一気に読ませる作文です。

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中学生の部

いつの日にかまた
小金井市立東中学校 三年 滝澤 あかり

二月。ロシア軍によるウクライナへの侵攻が始まった。テレビやインターネットのニュースでは連日、ウクライナの被害状況が伝えられ、その被害は日に日に拡大していった。私はこのニュースを見て、エラ先生を思い出した。

エラ先生は、私が幼い頃にほんの数週間だけバレエを教えてもらった先生だ。私は、小学校を卒業するまで八年間バレエ教室に通ったが、エラ先生は私がバレエを始めるきっかけとなった先生で、私にとって憧れのバレエダンサーだった。

先生はウクライナ出身で、日本人男性と結婚し、ウクライナの首都キーウに住んでいた。若い頃はバレエ団に所属するダンサーだったが、私が出会って間もなく引退し、その後は現地でバレエ教室の先生をしていた。ご主人と一緒に日本に遊びに来ていたエラ先生に初めて会ったのは、私が幼稚園の年少の時だった。初めて先生を見た時の衝撃は今でも忘れられない。いつも観ていたディズニーアニメのプリンセスがテレビから飛び出してきたかのような美しい金髪と透き通るようなグレーの瞳で、幼いながらにドキドキした。体を動かすことが好きな私に帰国までの数週間、エラ先生がバレエを教えてくれることになった。先生のレッスンは、足の指を使ってビー玉をつかむゲームをしたり、音に合わせて自由に踊ったりと、バレエとは言い難いものだったが、自分の体を知り、体の使い方を学ぶという、今振り返るととても効率的なレッスンだった。
「目で見たことだけじゃなく、耳や肌や心で感じて」
が、エラ先生の口癖だった。

あれから十年以上が経ち、今ではエラ先生と連絡をとることもなくなっていたが、ニュースを見て先生が今どうしているのか、とても心配になった。母が共通の友人に連絡してエラ先生の安否を尋ねたが、先生と連絡がとれず、皆で心配しながら数日間を過ごした。連絡を試みてから十日後、母の元へエラ先生からメールが届いた。「大切なあかりへ」で始まるメールには、先生もご家族も無事でいること、先生のバレエ教室はロシア軍による攻撃でなくなってしまったこと、日本に避難しようとしたけれど情報が少なくて叶わず、今はポーランドにいて安全なことが書かれていた。そして何より今の状況が悲しいけれど、あかりが心配してくれていると聞いて、嬉しい気持ちになったと書かれていた。私は、エラ先生が無事でいることにとても安心した。しかし、それと同時に同じ地球上で、こんなにも悲惨なことが起きているのかと胸が苦しくなった。

日本でも、ウクライナからの避難者の受け入れや支援の動きが始まっている。私にも何か出来ることはないか、考えてみよう。そしていつの日にかまた、エラ先生があの美しい笑顔で、子供達にバレエを教える日がくることを切に祈る。

【滝澤さんの作品に対する講評】

世界を揺るがす国際情勢について、非常に個人的で深い視点から描かれています。エラ先生の教育観、エラ先生を心配する作者の気持ち、時間を経ても色褪せない師弟関係。具体的なそれらの描写が戦争の理不尽さを自然に際立たせています。戦争の悲惨さを訴えようとするのではなく、あくまでもエラ先生との関係性に軸足を置くことでむしろ、抽象論に終始しがちな戦争というテーマに手触りを与えています。

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■ 学研賞

小学1~3年生の部

赤ちゃんがおしえるミライのとびら
墨田区立二葉小学校 一年 村杉 瑠美

生まれてまだ六カ月の赤ちゃん、わたしのいもうと。まだいっしょにおはなしをしたことがないけれど、わたしのりっぱな先生。そのりゆうは三つある。

だい一に、えがおをいつもいっぱいふりまいていること。おかあさんにだっこをされ、いつもまちの人たちをニコニコさせている。目、まゆ、ほほ、口、すべてをつかって、大きなえがおをつくるので、わたしにもこんなことができるのかな、とかがみをまえにまねをしたけれど、上手にできなかった。

だい二に、あたらしいことにいつもとりくんでいること。どんなに上手にできなくても、なんどもチャレンジするすがたはわたしのお手本。くるりとからだをうごかすけれど、うでがからだの下になって、なかなかすすめない、おもちゃをつかめない、なくこともおおいけれど、エネルギーをつかって、いつもまえむきなすがたにげん気をもらっている。はじめて見るもの、さわるものにもキャッキャッとたのしそうにチャレンジ。こうして、わたしにあたらしいとびらをひらきにいくことをおしえてくれる。

だい三に、「いま」このじかんをだいじにしていること。きのうのこと、あしたのこと、らいしゅうのことを気にせずにごはんをたべて、ミルクをのんで、手にとるものであそんでいる。じかんがわからないのに、「いま」をだいじに、すごしている。わたしは学校にいるとチャイムに、いえにかえるととけいに、プールやそろばんにいくとじかいのことに、いつも「つぎ」をきにしてすごしているから。「いま」にしゅうちゅうできるってうらやましい。

いつもみぢかにいて、えがおで、つぎのステップをふみだすためにせなかをおしてくれる赤ちゃん、いもうとはわたしの先生。

【村杉さんの作品に対する講評】

いつも身近みぢかにいるいもうとが、瑠美さんがつぎのステップをふみだすために、せなかをおしてくれる「先生」なのですね。瑠美さんは3つの理由りゆうをあげています。作文のだいのつけ方、作文のくみたて方、文字づかい、リズミカルなかたり口など、どれをとってもすばらしいです。とくに、「『いま』にしゅうちゅうできるってうらやましい」という言いまわしはのびしていておとなびていますが、みての心にじんわりしみこむすてきな作文です。

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小学4~6年生の部

トランポリン教室の先生
大阪府立堺聴覚支援学校 四年 舩木 匠

皆さんはトランポリンを知っていますか。ワラビーキッズというトランポリン教室に、毎週金曜日に通っています。幼稚部の時からで、もう七年目になります。ここには、二十人くらいの子どもが来ています。そのうち、耳が聞こえない子どもが僕をふくめて三人います。

実は、僕は障害があります。それは「聴覚障害」という耳が聞こえない障害です。補聴器をつけると、だいたい聞こえるのですが、大勢の中だと聞こえにくくなります。それに、僕には聞こえやすい人とそうでない人がいます。声の低い人は聞きやすいのですが、声の高い人は聞きづらいです。分からないときは、大きな声を出してもらったり、マスクを外して話してもらうこともあります。

もう一つは「呼吸障害」です。『スピーチバルブ』というものを首につけていて、それが取れてしまうと、食べたり飲んだりするのがダメになります。のどに穴が空いているので、そこから何かが入ると大変なことになります。そのためいつもつきそいの人がいます。

将来は先生やお母さんの助けを借りずに、一人で助けを呼んだり病院に行ったりできるようにしたいなあと思います。

さて、トランポリン教室ですが、ここの友達とは仲良しです。ゲームや学校の話をしていてとても楽しいです。例えば「こんなゲーム持ってる?」とか「教室にハチが入ってきて大変だったよ」などです。みんな僕が耳が聞こえにくいことを知っていて、やさしくしてくれます。たまにスピーチバルブのことを「それは何?」と聞かれます。でも、説明すると、友達は「へぇ!」とわかってくれるのでとてもうれしいです。

こんな楽しいトランポリン教室には三人の先生がいます。

めぐみ先生。いつもトランポリン体操をするときに見本をやって見せてくれます。僕にもわかるように手話を使ったり、大きな声を出したり、マスクを外して口が見えるようにしてくれます。手話を一生けん命覚えようとしてくれます。

ちえ先生。トランポリンの技を細かく教えてくれて「もうちょっとこうしたらいいよ」と声をかけてくれます。看護師さんなので、スピーチバルブが取れても付け直してくれます。ちえ先生のおかげでこの教室に通うことができるのです。

りゅう先生。高校生のお兄さんです。きびしいところもあるけれど、僕にはわかりやすく話をしてくれます。

とても楽しくわかりやすいトランポリン教室。こんな教室にしてくれたのは三人の先生のおかげです。今よりももっと楽しくできるようになりたいです。また、このような場所がもっと増えてほしいです。ありがとう。

【舩木さんの作品に対する講評】

聴覚障害と呼吸障害の匠くんがトランポリン教室に通いはじめたとき、3人の先生方とであいました。匠くんと先生方の交流の様子を手にとるようにわかりやすくまとめてくれました。めぐみ先生は手話を使い、マスクを外して大きな声で語りかけてくれます。ちえ先生は看護師さんで専門の立場からトランポリンの技を細かく教え、励ましてくれます。りゅう先生は高校生のお兄さんで匠くんが理解できるように、わかりやすく話をしてくれます。こんなにステキな先生たちとであえてよかったですね。先生方にみちびかれながら、トランポリンの技をみがいてくださいね。応援しています。

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中学生の部

ショパンのピアノの響き
川崎市立宮崎中学校 一年 一條 友織

「華麗なる大円舞曲」「小犬のワルツ」「英雄ポロネーズ」……。ショパンの曲一つ一つがそれぞれの特徴を持っていて、豊かな表情があります。ショパンの曲を弾いていると、どこか別の世界に来たような気分になります。ショパンこそが、私の心の中に存在する音楽の先生です。

私は小学校五年生の時に、「小犬のワルツ」という曲に出会いました。初めてこの曲を聴いた時、心が弾んで踊り出したくなりそうになったことを今でも覚えています。その時から、私はショパンのワルツに憧れるようになり、この曲が弾けるようになりたくて一生懸命練習しました。

「小犬のワルツ」がある程度弾けるようになってから、もう一度プロの演奏を聴いてみました。すると、音やリズムは合っていても何かが大きく違っていました。その数日後、私はたまたま本でショパンについて書かれていたのを読みました。そこには、ショパンはピアノを叩くように弾くのを嫌い、柔らかく演奏することを求めていたということが書いてありました。それを読んで私ははっとしました。私はそれまで、ピアノを叩くように弾いていたかもしれません。

私が今までしていた、「ピアノを叩くような演奏」というのは、楽譜にかいてあることをそのまま何も考えずに指で鍵盤を押しているだけだということに気づきました。そして、ショパンが求めている「柔らかい演奏」について自分なりに考えてみたところ、それは心の中で自分が弾きたいと思っている曲のストーリーを考え、それを腕や指を通じて表現するということなのです。つまり、心でピアノを演奏するということであり、それがショパンの曲の多様な表情を表現することにもつながっていくのです。ショパンが求めているなめらかな演奏をするために、指ではなく心でピアノが弾けるように練習していきます。

「小犬のワルツ」に限らず、ショパンは様々な特徴を持った、音色豊かな音楽を数多く残しています。その一つ一つの曲の一つ一つの音の魂をピアノに吹き込むような演奏が、ショパンの理想であるのではないかと私は考えました。そしてその奥には、ショパンの本当の楽しさや、無数にあるショパンの世界が広がっています。そう思うと、いつも本気でピアノの練習に打ち込むことができます。

私は、約一ヶ月後にピアノの発表会を控えています。その発表会で、私は「華麗なる大円舞曲」というショパンの曲を弾きます。私はまだショパンの「シ」の字にも満ちていません。しかし、その発表会でショパンのワルツを大勢の前で弾くことで一歩でも本当のショパンに近づくことができるようにしたいと思います。聴いている人全員を別の世界に連れていけるような演奏を目指します。

【一條さんの作品に対する講評】

友織さんは、「何も考えずに指で鍵盤を押しているだけ」ではまずいと気づき、ショパンが求めている「柔らかい演奏」について省察してみました。ショパンの「一つ一つの曲の一つ一つの音の魂をピアノに吹き込むような演奏」が「ショパンの本当の楽しさや、無数にあるショパンの世界が広がって」いくのに気づきました。発表会で演奏する「華麗なる大円舞曲」が聴いている人全員を別の世界・ショパンの世界に連れていけますように。友織さんの作文を読みながら、ショパン愛好家の評者の耳にも、「英雄ポロネーズ」や「華麗なる大円舞曲」が響いてきてショパン世界が広がっていくようでした。

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■ 金賞

小学1~3年生の部

一番大きな先生
さいたま市立柏崎小学校 三年 沖田 典

二年生の時のたんにん安田先生。
先生の身長一八〇cmくらい、ぼくは一三〇cm。
先生はギターがひける、ぼくはひけない。
先生は絵がうまい、ぼくもちょっとうまい。
先生はバスケットが得意、ぼくはまだゴールに入れるだけ。
かけ算テスト、先生が小学生の頃クラスで一番だった、ぼくも一番になった。
小学校きょうし一年半、僕は三年生。
安田先生のクラスで、ぼくは勉強も運動も遊びも
一生けんめいがんばった。楽しかった。
三年生も安田先生のクラスになるのかなと思ってたのに、
四月になると、先生は学校にいなかった。

りにん式でわたす似顔絵の係になった。
安田先生の絵をかいた。
おどろいて、よろこんでくれるように
先生のことを考えて、ていねいにかいた。
今までで一番じょうずな絵がかけた。
お母さんも友達もすごいと言ってくれるくらい。

昨日のりにん式。
「きんちょうしている」と言った安田先生。
先生を見ると、うれしくてでもさみしくて、
ぼくは泣きそうだったけど、
先生にまた会いたいから泣かなかった。
似顔絵、よろこんでくれたかなあ。

いつかまた安田先生に会ったらやりたいこと。
競走して、先生にかちたい。
絵をたくさんかいて、もっと上手になって先生をびっくりさせたい。
先生より大きくなったか身長をくらべてみたい。

安田先生ありがとう。また学校に来てください。
勉強も運動もたくさん練習してみんなでまっています。

【沖田さんの作品に対する講評】

今はおわかれしてしまった大きな安田先生のことを自分とくらべて書きました。体だけでなく、いろんなことが大きい先生。比べることで先生のことがくわしく分かります。先生への気持ちが丁寧ていねいに書かれた似顔絵から伝わってきます。

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小学4~6年生の部

わたしの先生
武蔵野市立境南小学校 六年 松坂 香凛

先生と言えば、学校の先生や習い事の先生を思い浮かべると思いますが、私は「母子健康手帳」が先生です。私の覚えていない、あるいは知らないことを「あなたはみんなに愛されているんだよ」と優しい言葉で教えてくれる世界で一つだけの特別な先生です。

私が最初に母子手帳を知ったのは小学三年のときです。病院の予防接種の待ち時間の間に読んでいたら、自分がどんなに小さくて軽い幼女だったかということに驚きました。今あたり前にできている、立つ、喋る、食べるなどの行動が少しずつ現在の私につながっていると思うと感動しました。

その日以降、勉強で疲れたときや、学校で嫌なことがあったときなどに、もう一度あの驚きと感動を味わいたくて母子手帳を見返すようになりました。今私は受験生で、毎日勉強で息詰まったときに何度も見返しています。その際に、文字が書けなかった自分、文字を読むことさえできなかった自分が、とても成長できたのだなと思うと大きな励みになり、これからの自分への行動力になります。もちろん私が様々なことをできるようになった背景にはみんなからの愛情や支えがあったおかげだと思います。文字が上手に書けるようになったとき、算数の難しい問題が解けたとき、二重跳びができたとき、いつも母が支えてくれました。楽器が上手にひけなかったとき、一人で登校するのが不安になったとき、自分の意見を発表しづらかったとき、励ましてくれる友達がいました。母子手帳を見ると、自分ができるようになったこと、愛されて育ってきたことを実感します。母子手帳はまるで色々なことを教えてくれ、また、明るく先を照らしてくれる先生のようです。

これからも、私は色々なことに悩んだり不安になったり、落ち込んだりすることがあると思います。そんなときには、母子手帳を見返して自分らしく生きたいです。きっと、母子手帳が先生のように私にヒントを教えてくれると思います。

【松坂さんの作品に対する講評】

わたしの先生は母子健康手帳? 思わず惹き込まれました。なぜか? 母子健康手帳には母親の手により成長の姿がていねいに書き込まれています。自分の知らないことを知らせてくれます。なによりも“こんなにも愛されていたんだよ”ということを伝えてくれるのです。「色々なことに悩んだり不安になったり、落ち込んだりするときに、母子健康手帳が自分らしく生きるヒントを教えてくれると思います」と結んでいます。“母子健康手帳がわたしの先生”との結論に得心がいきました。母子健康手帳を開くと自分がこんなにも愛されて大切に育てられたことを知ることができるのですね。将来直面する困難にも立ち向かう勇気と解決するヒントがもらえるでしょう。何よりもそれを書いたお母様の愛情が伝わってくる素晴らしい作文です。

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中学生の部

「書道」という先生
渋谷教育学園渋谷中学校 三年 沖田 樹音

「考えすぎないで書こう。一度に全部は出来ないからね」。そう言ったのは私の書道の先生だ。私はいつも無理をして頑張りすぎてしまう。勉強も部活も人間関係もすべて百パーセントで完璧を求めてしまう。中学一年生の時、私は色んなことを頑張りすぎて、体調を崩したことがあった。そのせいで中学二年生の一年間はほとんど楽しむことができなかった。そして現在、中学三年生になり、毎日学校に行けている。これは去年の私と比べたら凄いことなのに、もっと上を目指そうとしている自分がいた。自分でも薄々、無理をして頑張っていると気付いてはいたけれど、心配してくれる家族や学校の先生、友達の「頑張りすぎないで」という声かけはいつも「うん、ありがとう」で終わっていた。

そんなある日、出会ったのが書道の先生のあの言葉だった。今までは私の心に入ってこなかった心配の声とは違い、すーっと溶けるように私の心に入ってきた。「書は人なり」という言葉がある。字はその人の性格を表すという意味だ。書道課題の注意を全部意識して字を書いていたら、中途半端な作品が出来てしまった。その時に先生が言った「考えすぎないで書こう。一度に全部は出来ないからね」という言葉はとても単純な意味だが、この時初めて私は、自分の字を通して自分という存在を客観視することができた気がした。今までは家族や学校の先生、友だちから言われても自分のことはきちんと客観視できず、「もっと頑張らないとダメだ」と思っていた。しかし、心を表す、心の鏡である書を通して私は、全部完璧にやろうとすると、失敗してしまうから、何事にも完璧を求めすぎないことを学ぶことができた。私は学校で嫌なことがあったり、上手くクラスになじめなかった日は必ず書道教室に行く。字を書くことで、心がどんな状態にあるのか、自分は何を感じているのかが分かり、少し安心することができるからだ。

「先生」とは自分を前に進めてくれたり、新しい考えに導いてくれる人や物だと私は思っている。周りから何百回言われても変わらなかった「無理をして頑張る」という私の考えを「無理せず頑張る」という考え方に導いてくれたのは「書道」そのものと書道の先生であった。私の人生はこの先ずっと、「書道」というものが先生になるだろう。

【沖田さんの作品に対する講評】

作者の内面の変化が丁寧に描かれていました。自分自身の心を客観的に見つめなければできないことです。大人でもなかなかできないことです。書を通して、作者には本当に自分自身の心が見えているのだなと思いました。この作文そのものが、そこに書かれた内容が本当であることの「証拠」になっています。そういう意味で非常に優れた作品だと感じました。

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■ 銀賞

小学1~3年生の部

かっこいい かみお先生
西武学園文理小学校 一年 宇野 颯汰

ぼくは、えをかいたり工作したりすることが大すき。でも、ともだちよりかんせいまでにじ間がかかるし、できた作ひんをクラスでわらわれることがある。だから、にがてに思うこともある。

かみお先生は、ほいくえんのあとに行くきょうしつの先生。いつもテキパキ、ハキハキしている。とてもかっこいい。ぼくのことをぜったいにわるく思わない。ぼくの「きっと、できない。やりたくないな」と思う心が見える「かみさま(神)のしっぽ(尾)」をもった先生。
「あきらめなければ、上手になります」
と先生は、きびきびいっていつもぼくのやるきをフルパワーにしてくれる。

おりがみでわかざりを作ったとき、ぼくだけぐちゃぐちゃでかずも少ない。先生が、
「じ回、先生とわかざり作りレースをします。れんしゅうしてきてください。わたしは一ぷんでこのくらい作れます」
といって目のまえで作りはじめた。そのはやさにびっくりして、くやしくなった。まい日たくさんれんしゅうした。はやくやろうとすると、あせってぜんぜんできない。でも、あきらめない。だって、できたら心がぽかぽかしすぎて大ばくはつするくらいうれしくなるから。先生は、なんどもぼくの心を大ばくはつさせていっしょによろこんでくれた。

先生が、さいごのじゅぎょうの日に、
「小がっこうは、できること、わかることがたくさんふえます。たのしいですよ」
とはなしてくれた。ぼくは、今とてもたのしい。くやしいこともあるけれど、だいじょうぶ。いつかきっと、大ばくはつさせるから。そのときは、かみお先生にあいたいな。

【宇野さんの作品に対する講評】

かみお先生は本当ほんとうにかっこいいですね。いつもテキパキ、ハキハキしている。やるをなくすとすぐに見抜みぬいてしまう「かみさまのしっぽ」をもつ先生。「あきらめなければ、上手になります」という先生のことばにはげまされ、「かんたんにはあきらめない」と心にちかい、なんども練習れんしゅうしてだんだんうまくなることに気がついたのですね。颯汰くんのやる気に火をつけてくれるかみお先生にあいたいという気持きもちがひしひしとつたわってくる作文です。

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小学4~6年生の部

瀬戸口先生、お元気ですか?
羽島市立竹鼻小学校 五年 淺野 智恵

先生の言われて嫌な言葉は「独身」。先生が嫌いな場所は東京ディズニーランド。理由は人がいっぱい、いるから。だから、どうして先生になったのかな? とずっと疑問でした。

夏休み前に、先生は「自分の宿題は自分でやるように」と言う代わりに、「ぼくはお母さんに書いてもらった感想文が入賞してしまって、みんなの前で読まなければならなくなったから、お母さんに書いてもらいました」と担任の先生に言った思い出を話して下さいましたね。私は、「何でやねん! それを、生徒の前で言っていいんかい!」と心の中で、突っ込みをいれていました。

夏休みには、前の年に、私が作った学校新聞表彰で、羽島市長さんへ訪問したとき、先生がついて行ってくれましたね。そのとき、先生が、「緊張して、昨夜は眠れませんでした」と言うと、教頭先生が、「何でやねん! 何でお前が緊張するんや。智恵さんやろ。緊張するのは」と突っ込みをいれたとき、笑いをこらえるのが大変だったよ。

そんなお茶目な先生だけれど、昼休みに漢字テストのやり直しがあって、「先生が担任になってそんしたー」と思っていたけれど、今はとても感謝しています。私は漢字を書くのが苦手なので、やり直しテストでけっこう漢字を覚えることができました。本当にありがとうございました。

もう一つ、先生に感謝していることがあります。それは先生が違う学校に行ってから、ちょうど一年後に分かったことです。その年も学校新聞コンクールに応募したいと思い、お母さんに相談しました。お母さんはすぐに担任の先生に相談してくれました。でも、個人応募が、その年からできるようになり、郵送料も高いので、学校では難しいということでした。そこで、お母さんが、学校新聞コンクールに応募してくれました。そのとき、前の年はどうだったかを教頭先生が調べてみると、前の年の学校新聞は、瀬戸口先生のお金で応募したことが分かったと、教頭先生が、お母さんに教えてくれたそうです。教頭先生が、瀬戸口先生に、「どうして自分のお金で払うんや。おかしいやろ」と言うと、「少しでも智恵さんを応援したいと思って、智恵さんが作った学校新聞をコンクールに応募しました」と言ってくれたそうです。

私はその話を聞いて、胸が熱くなって、涙が出そうでした。「瀬戸口先生、ありがとうございました」。瀬戸口先生にどうしてもお礼が言いたくて、この作文にチャレンジしました。入賞したら、きっと校長先生が瀬戸口先生にこの作文を見せてくれると思ったからです。「先生、お元気ですか? 先生は私の作文を読んでくれていますか?」「智恵さん、そういう事は、こういう所で聞いちゃだめ」と言う先生の照れている顔が想像できます。

【淺野さんの作品に対する講評】

おちゃめでやさしい瀬戸口先生の人柄が伝わってくる温かい作文でした。感謝の気持ちを直接伝えることも大切ですが、こうやって、時間が経ってから、思いもよらないかたちで伝えられる感謝の気持ちには、これまた格別の味わいがあります。「先生」という人たちは、子どもたちの未来を思い描きながら毎日を過ごしています。未来から届いたこの感謝の気持ちは、瀬戸口先生にとって最高の宝物になると思います。

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中学生の部

生き方の先生
板橋区立加賀中学校 三年 町田 杏奈

「私があなたに先生として教えてあげられる事なんてあるのかな」
私の先生として紹介したいと電話口で伝えると祖母は困ったようにそう答えた。確かに祖母は教師でもなければ特別な能力を持っているわけではない。しかしそんな祖母の周囲はいつも人の笑顔であふれている。その理由は何か。これまでの祖母の行いを思い返しながら祖母という人物を紹介したいと思う。

まず、祖母は常に笑顔だ。人は第一印象で決まるというが笑顔の人に対して不快に思う人間はそういないだろう。祖母は知人に対してはもちろん、例えば同じ電車に乗り合わせた幼い子供が何かを訴えかけようものならすかさず笑顔で返してあっという間にその親子と打ち解けてしまうのだ。

笑顔は苦労しなければ入手できないわけではないし減っていくことも無いのだがそれが簡単にできない人もいる。しかし祖母は惜しまず出せるのだ。これについては私も大切な事だと実感しているので実践中だ。

次に祖母は有言実行の人である。三十年程昔に祖母は現在の庭のある家に引っ越して来た。庭とは言え石だらけの荒れた土地だったがここを畑にすると決めた。当初は失敗もあったらしいが今では季節の野菜が何種類も収穫できるまでになり近所へ配り皆さんに喜ばれている。ある時私は大変さを尋ねた事がある。
「結果ではなくてまずやってみると案外その中に面白さが見えてきて大変どころかあれこれやってみたい事が増えてきてそれが今に続いているんだよ。でも無理だと思ったらさっと手放す位の気楽な気持ちで続けてるよ」

実行すると言うと覚悟や後に戻れないと思ってしまうがとりあえず動いてみる。何事も気軽に挑戦する姿はぜひ見習いたいところだ。

最後にこれは私が一番こうありたいと思うのは自分に嘘をつかない事だ。私は人に良く見られたくてできない事をできると豪語して教わる機会を逃したり、背伸びして実際の自分と自身が追いつけずに苦しんだ過去がある。しかし祖母は違う。できる事は当然努力を怠らないが知らない事を知ったふりはしない。先程の畑の話もそうだ。相手の立場や年齢に関係なくその道の詳しい人に頭を下げて教えを乞う。そして人々から授かった知恵を蓄え続ける祖母の進化は止まらない。何歳になっても人から学ぼうとする祖母を心から尊敬する。

人との関わり方について学校では道徳を学ぶ。しかし授業以外でも生身の人間の生き方から自分が感じて考える事で学ぶ物も多い。祖母は指図などしないが私が自発的にそうなりたいと思える人としての魅力がある。そういう意味では祖母は私にとっての生き方の先生なのだ。そしていつか自分が祖母のような立ち振る舞いを身につけた時、私もその行動や心掛けで後世に伝えていきたい。

【町田さんの作品に対する講評】

「背中で学ぶ」という。面と向かって教えられるわけではないが、普段の立ち居振る舞いから知らず知らずに学ぶことだ。杏奈さんのおばあさんは、笑顔や普段の生活の中から多くのことを教えてくれているのです。それをきちんと受け止める力。それが素晴らしいですね。

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■ 銅賞

小学1~3年生の部

まほうの言葉
智辯学園和歌山小学校 三年 延與 晟一良

「人間は、同じことを三回くり返したらできるようになる」

これは、一年生の時のたんにんの先生が言った言葉です。ぼくは、しっぱいをして悲しくなると、この言葉を思い出します。思い出すと、心のモヤモヤがふきとんで、気持ちがすーっとして、「またがんばろう!」と思えるからです。だから、「まほうの言葉」です。

ぼくは、小学校に入学してすぐのころ、三回つづけて音読カードを出すのをわすれました。夜、ちゃんとランドセルに入れたのに、学校に着くと、出すのをわすれてしまいます。まだなれていなかったからかもしれないけど、ぼくは、つくえの中に入ったまんまの音読カードを見つけるたびに、「ああ、やってしまった」と悲しくなりました。先生は、
「いいよ。明日また出して」
とやさしく言ってくれました。ぼくは「明日は出すぞ!」と心の中でちかったけど、三回目も出しわすれてしまったので、同じしっぱいばかりする自分がいやになりました。

そんな時でした。先生が教室で「まほうの言葉」を言いました。本当は、あの時先生は、「苦手なことや、国語や算数のむずかしい問題も、三回くり返してやればできるようになる」と言っていたのかもしれません。

だけど、その時のぼくには、「同じしっぱいを三回くり返したらできるようになる」と言っているように聞こえました。ぼくはそれまでずっと、しっぱいはダメだと思っていました。でも、先生の言葉を聞いた時、しっぱいを何回かくり返したら、しっぱいはせいこうにかわる、と思いました。ぼくは今でもよくしっぱいをします。いやになる時もあります。でも、そんな時は「まほうの言葉」を思い出して、「今どこそ!」とがんばっています。先生、ありがとう!

【延與さんの作品に対する講評】

うまくできなくて自分がいやになりそうなときになぐさはげましてくれる「まほうの言葉」をかけてくださった担任たんにんの先生。だから今は「今度こんどこそ!」と頑張がんばることができるのですね。自分の気持ちもよく見つめています。

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小学4~6年生の部

先生はま法使い
敬愛小学校 四年 安田 彩乃

私のクラスの権田先生は、ま法使いだと思う。

私がこう思うのには、いくつか理由がある。一つ目は、先生は黒い洋服がとても似合うからだ。ま法使いの条件の一つは、黒い服を着ているかどうかだと、昔絵本で読んだことがある。権田先生は毎日黒い服を着ているわけではないけれど、黒の服を着た日は、とびきりキリッとして、きれいに見える。

二つ目は、先生の声を聞くと、みんなが落ち着いた気持ちになれるからだ。権田先生の声は、教室のどこにいてもはっきりと聞こえる。おなかの底が温かくなるような、少し低くてやさしい声。休み時間に教室がどんなにさわがしくても、先生の声が聞こえると、みんながすっと静かになる。そしてま法にかかったみたいに、にこにこ笑って自分の席に着く。私はこのしゅん間が大好きだ。席に座りながら、ずっと先生の声を聞いていたいなあと思う。

三つ目は、先生の表情が、豊かで面白いからだ。今はマスクで口元がかくれているけれど、私たちに会うと、にっこり笑ってくれているのが分かる。めがねのおくの目が細くなって、きらきらしているようにも見える。私は、この作文を書いている今でも、権田先生の顔を思い浮かべることができる。心にうかぶのは、やっぱり、にこにこ笑顔の先生だ。

けれど、権田先生はおこるとこわい。今までのやさしかった世界が一しゅんで変わって、まるで迷路に迷いこんだみたいに、空気が重くなる。先生の後ろの黒板が、はい色のくもり空に見える。黄色いチョークが、かみなりみたいに光っている。先生がおこると、明るかった教室が、一気に色のない暗やみに変わる。これも、先生のま法の力なのかな。

でも、この暗やみもすぐに終わる。みんなへの注意が終わると、先生はいつもの先生にもどっている。しかも、まばたき一回分くらいの一しゅんで、パッと世界が明るくなるのだ。そして先生は、またニコニコ笑っている。こんなに急に世界を変えることができるなんて、先生の力は何て強いんだろう。私はますます、先生のま法のとりこになった。

この間、クラスの男の子がそうじ時間にふざけて、ほうきにまたがったことがあった。遠くから、権田先生がじっと見ている。私はしまったと思った。でも、私の注意より早く、先生がやって来た。これは困ったぞ。そう思った次のしゅん間、先生が、
「ほうきの使い方が面白くて、まほう使いみたいね。まほう使いって、そうじが大好きなのよ。一しょにやろう。」
と言って、楽しそうにほうきで地面をはいた。男の子も私もうれしくなって、先生と一しょに掃除を始めた。先生ってすごいなあ。やっぱり権田先生は、ま法使いでまちがいないと思った。

私は権田先生が大好きだ。先生はま法使いだと信じているけれど、たとえま法の力をもっていなくても、先生には、みんなを笑顔にする特別な力がある。私は今日も、先生の笑顔に会いたくて、元気に学校へ出発する。先生のま法にかかることに、ワクワクしている。

【安田さんの作品に対する講評】

黒い服の似合う、子どもたちに好かれるいろんな力をもった先生のことがよくわかります。先生の良さが声や表情だなんて、よく見ていますね。お掃除をさぼった時の先生の対応が見事です。でも、そのことに気付いたのは、先生をよく見ているからですね。

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中学生の部

怒りの顔は一瞬だけ
横浜市立早渕中学校 二年 日向野 蒼空

僕の今までの生活の中で、一番の心の支えになっている「先生」は、小脇尚武さんだ。

僕は、小学六年生の時、もともと住んでいた横浜市を離れ、鹿児島県の種子島という離島に、一年間留学しに行っていた。初めの頃は、慣れない生活に戸惑っていた。しかし、その時僕の里親だった尚武さんは、横浜とは違う種子島のルールや、言葉の訛りに方言などの一つ一つの知識を、僕が理解できるまで教えてくれた。そのおかげで、留学開始から一カ月後には、現地での生活が当たり前のようになっていて、毎朝行うラジオ体操も、自分の生活の常識になっていた。僕が尚武さんを、「お父さん」と親しく呼ぶようになったのも、この頃だった。でも、僕はまだ知らなかった。これからの生活の厳しさと苦しさを。夏休みが終わりに近付くと、お父さんに、
「甘いのは今だけだ。これからは、もっと厳しく行くぞ」
と言われた。それ以降、僕が何か物事を失敗してしまうと、ものすごい勢いで怒られた。僕は何度も泣きそうになった。でも堪えた。泣いたら、もっと怒られるから。お父さんは、とにかく知り合いの人の数が多くて、どこかにドライブするたびに、「久しぶり」の声が聞こえてきた。でもそのおかげで、普通なら色々と手続きがかかるものを、パパッと終わらせたり、友人に頼んで、簡単には入れない場所に入らせてもらったり。お父さんについていくと、必ず誰かと会って、挨拶を交わす。そんな常識的な行動をするだけで、僕とその人には、縁ができた気がした。僕の周りに人が居なくて、何かを失敗してしまった時、僕は、お父さんに怒られるのが怖くて、つい嘘を言ってしまった。しかし、その嘘がバレてしまった。怒られると思っていた僕に対し、お父さんは、
「失敗したら怒る。当たり前だ。でも、嘘をついて、それがバレたらもっと怒る。当たり前だな。嘘はついちゃいけない。愛想笑いとは別だ。嘘をついて、一番傷つくのは、自分自身だ。わかったな」
と、怒るのではなく、優しく僕に説教してくれた。お父さんの名言は、他にもある。
「二度はダメだ。一度で済ませろ」
「自分だけで全部抱え込もうとするな」
「体力だけじゃない。耐力もつけろ」
僕が一年間親元を離れて留学することができたのは、この言葉のおかげだと思っている。

お父さんは、失敗した人をただ叱るだけではなく、その失敗を改善できるような言葉をかけてくれる。もちろん、その回数が多ければ、その人に向かって怒る。でも、お父さんは、絶対に誰かに暴力を振るわない。そんな人だ。僕はお父さんを絶対に忘れない。だって、僕の心と体には、お父さんが残してくれた、数々の思い出が刻まれているから。

【日向野さんの作品に対する講評】

「体力だけでなく耐力をつけろ」などのたくさんのこれからの生き方に生きる言葉は、一年間里親をしてくださった「先生」の言葉。親元を離れて生活する中で、多くのことを学びましたね。それをきちんと受け止めてきたのが立派です。

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■ 入賞

小学1~3年生の部

ぼくのお手本ハルト先生
古河市立古河第二小学校 三年 佐藤 亘紀

ぼくには、みなさんに紹介したいあこがれの先生がいます。ぼくは、二年生のころからバレーボールチームに入っていて、その先生も同じチームの四年生で名前はハルトです。

ハルト先生はバレーを二才のころからやっていて、とても上手です。とくにフローターサーブがとくいで、しん長は一三七cmしかないのにスパイクもうてます。いつもサーブやレシーブをやさしくねっ心に教えてくれる、ぼくにとってとくべつなかっこいい先生です。

ハルト先生がすごいのは、まず子どもの気もちやげんかいをよく知っているところです。たとえばぼくが体力がなくてつかれてしまった時、ハルト先生だけがそっと「休んでいいよ」と言ってくれました。それからレシーブで失敗しても、怒らないで「こうすればうまくいくよ」とアドバイスしてくれるのです。

それから、ほめるのが上手です。サーブがうまくいくと、「おっ、コウキやればできるじゃん! ナイス!」と大げさにほめてくれるので、やる気が出ます。そして何よりかっこいいのは、バレー中だれよりしんけんにとり組んでいるところです。どんなにきつい練習でも声を出してチームをひっぱってくれるので、ぼくもがんばるぞ! と思えます。

このようにバレー中はたよれるハルト先生ですが、練習が終わってかいさんのあいさつをしたしゅん間、がらっとあまえんぼうになります。「ママー、蚊にさされたー」とか「パパ足痛いよー」など家ぞくにあまえます。そんなギャップもハルト先生のみ力の一つです。ハルト先生にメッセージがあります。ぼくはいつも先生にたすけられています。あこがれの存在です。でも、沢山練習していつかぜったい先生においつきます! いっしょのチームでバレーができてうれしいです。ハルト先生、これからもいっしょにがんばりましょう。

【佐藤さんの作品に対する講評】

ハルト先生は子どものことをよく見ているのですね。やさしいことや「心に教えてくれる」なんて本当にかっこいい先生です。それなのにあまえんぼうになるなんて。先生をよく見て、一生懸命いっしょうけんめいに考えているのが伝わります。

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小学4~6年生の部

優しい私のお母さん先生
牛久市立ひたち野うしく小学校 四年 橋本 楓音

先生というと学校の先生、お医者さん、新体操の先生、バイオリンの先生、テニスの先生、それぞれ大好きだけど、私が一番大好きなお母さん先生の話を書きたいと思います。

お母さんは、私にとって、料理の先生です。私も、いつもお母さんみたいに料理が上手になりたいと思っています。お母さんと一緒に料理を作る時は、私がソーセージを切っている間に、お母さんはニンジンを三倍の小ささで三倍の量を切っています。私が、玉ねぎを泣きながら切っている時には、お母さんは泣かずに三倍の速さで、玉ねぎを切っていました。私が、卵を割って入ったからを取りのぞいている間に、お母さんはすでに黄みがかたまっていました。私はすべて料理を教えてもらうのに、お母さんは何も見ずにすらすらと作ります。

お母さんは薬ざいしで、薬の先生です。私がコロナになり、高熱が出た時に、お母さんが色々と調べて、お医者さんからもらったお薬をきちんと飲ませてくれました。おかげで、すぐ元気になることができました。お母さんは、薬について何を聞いても答えてくれるので、私は安心して飲むことができました。

私がコロナになった時、学校に行くことができませんでした。その時は、お母さんが学校の先生になり、授業や宿題についてたくさん教えてくれました。私が問題をといていると、別のことをしているはずのお母さんが、
「ここ間違ってるよ、やり直し」
と言ってくれ、間違いを教えてくれました。

部屋から出られないので、夜ご飯はお姉ちゃんが部屋まで届けてくれていました。いつもはご飯を食べる部屋ではないので、食べる場所がありませんでしたが、お母さんがだんボールを使って、食卓を作ってくれました。ちょっと小さかったけど、だんボールの上で食べる食事もおいしかったです。テレビがない部屋でずっとすごしていて、休けい時間が面白くなかったけど、お母さんのパソコンでドラえもんの映画を見せてくれて、段ボールとパソコンによる映画観賞会になりました。あのドラえもんは、テレビで見るより面白かったです。コロナで部屋から出られなかったけど、あの時はお母さんをひとり占めして、楽しかった。
「ありがとう」
と言いたいです。

私は、バイオリンを小さいころから習っているお姉ちゃんを見て、習い始めました。家でよく練習しています。最初は、全然うまくひけませんでした。最近少しずつうまくなっているつもりでも、お母さんが料理をしている時や、洗たく物をたたんでいる時、
「今の音違う、もう一回ひいて」
と音がずれるときびしい声で言われます。お母さんは、ピアノは習っているけど、バイオリンは習っていないのに、音がずれるとすぐにわかってしまいます。

お母さんは何でも知っていて、何でも楽しくしてくれて、何でも教えてくれる私のじまんのお母さんであり先生です。

これからもよろしくお願いします。

【橋本さんの作品に対する講評】

スーパー先生のお母さん。どんなことができるのか、いろんな場面での様子とともに詳しく書くことができました。お仕事をしながら子どもに寄り添っているお母さんの姿がとても素敵です。自慢のお母さんであり先生です。

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人生の先生と共に
東京農業大学稲花小学校 四年 山岡 真桜

私の母はすごくおっちょこちょいで、おおざっぱです。ですが、私も母に負けないくらいおっちょこちょいでおおざっぱです。

母は、小学生のときから背が高く、明るい人だったそうで、なんと私も同じなのです。まるで、姉妹かと思うほど似ています。

私は、いつも母になぜ背が伸びたのかを聞きます。すると、いつも
「のほほんと人生を気楽に生きているから」
という答えが返ってきます。私はいつも不安ですがためしています。それが不思議なことに本当なのです。背もそのおかげで伸び、母は魔法使いなのでは……と思ったこともあります。

そして母はポジティブすぎます。学級閉鎖になった時の話です。いつも通り母は朝のルーティーン・メールチェックをしました。メールチェックは通知欄に来たメールだけを見ます。なので一番下にあるメールは気づきにくいです。母はそれに気づかず、メールチェックを終えてしまいました。私が学校に行くと、他のクラスの子が、
「真桜ちゃんの所のクラス、学級閉鎖だよ」
と言われ、とてもおどろきました。急いで母に電話を……と携帯を取り出していると、ナイスタイミング。母から電話が来たのです。
「いま確認したよ~。一応そのまま学校行ってみな」
と、大笑いしてキメ顔を決めたような声が通話口から聞こえ、その顔が頭に浮かびました。そのポジティブな一言が、真っ暗だった私の心に明かりをともしてくれました。

私は、色々な種類のお団子を作るのが大好きです。いつも、友達が家に来た時お団子を一緒に作って食べます。白玉粉を使うので、台所がいつも粉だらけになってしまいます。そのまま私は友達と遊んでしまいます。なので、母はいつも知らないうちに片付けをやってくれてとてもありがたいです。ですが、同時に私の心は針でチクチクされるようなとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。これから、すべての事で片付けまでやろうと心に誓っています。

私の母は、おっちょこちょいでも真っ直ぐで誠実です。そして母は私の憧れの人であると共に、人生の先生です。これからも、人生での学びを教えてもらう生徒として楽しく授業の様に生活をしてゆきます。これからも、どうぞヨロシク。

【山岡さんの作品に対する講評】

先生というと何でもできて完璧、みたいだけど「おっちょこちょいで、おおざっぱ」でも真桜さんにとっては、ポジティブで真っ直ぐで誠実というところが「先生」であるということなのですね。身近にこんなお手本があるなんて羨ましいです。

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中学生の部

書道の意味
東京都立大泉高等学校附属中学校 一年 大場 美遥

「ここは習字教室じゃない。書道教室だ」
書道の練習中に先生から発せられたこの言葉が、私の書道に対する姿勢を変えた。

習字は字を習うことだから、美しく綺麗に書けていればよいのだろう。しかし、書道では、美しく綺麗に書くだけでは評価されにくい。美しく綺麗に書く方法を学んだら、その技術で、どのように表現していくか、どれだけ印象に残る書き方ができるかが重要で、評価のポイントになるのだ。これが、先生の言葉の意味だった。それまで、お手本通りに美しく書くことを意識していた私は、このときから、表現の仕方、印象に残る書き方を考え、書くようになった。すると、「書道」の魅力がわかり、楽しくなった。

書道の先生は、私達に書道の楽しさを伝えてくれる。もちろん先生というぐらいだから、とても上手だ。書教展という展覧会で、最優秀にあたる文部科学大臣賞を取ったことがあると聞いた。また、先生は、好きを追求している人で、書道の他にも、ダンサーとして活動している。それゆえに、楽しさを伝えようと、書道教室でも、うちわ作りやカレンダー作りなど、様々なイベントを企画し、実行してくれている。私も、イベントは楽しんで参加することができている。

また、困難の中を突き進んでいける人でもある。このコロナ禍で、書道の展覧会が中止になってしまった。そのときにインスタグラムでの展覧会を開催してくれた。普通なら、「残念だったね」で終わってしまうところだと思う。そこを「残念だったね」で終わらせずに、行動を起こし、困難の中を明るい方向へ切り開いていける人なのだ。

私は、書道の先生を尊敬している。好きを追求しているところ、困難の中を突き進んで切り開いていけるところ、そして、楽しさを人に伝えていこうとしているところ。先生の字には、この三つが表れるのだ。つまり、気持ちや考えを字で表せているということである。これは、「書道」を実践している証拠だ。

私は、これからも、この先生の元で書道を極めたいと思う。先生から学べることはもっとたくさんあるはずだ。書道を極めていく者としても、人間としても、学んで、成長していきたい。

【大場さんの作品に対する講評】

習字と書道の違いがよくわかります。学校のテストで100点をとるための学びと、自分の人生を自分らしくいきるための学びとの違いと言い換えることもできると思います。何事も習字的な要素もある程度は必要なんでしょうけれど、それはあくまでも書道をするための前提でしかありません。そういうことは学校だけではなかなか学べません。書道に限らず、「道」と名の付くものを学ぶ意味は、そこにあるのだと私も思います。険しくも美しい道をこれからも歩み続けてください。

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私の母は食育先生
東京都立大泉高等学校附属中学校 三年 萩原 結季

私の家族を一言で言い表すなら、正しく「健康体」だと思う。少なくともここ数年は誰も病気一つしていない。なぜだろうか。手洗い・うがいの徹底、運動、睡眠。様々な原因があるだろう。しかし、私は母の作る料理が家族の健康を叶える一番の要因だと思う。

私の家での食事は、ほとんどが和食である。肉よりも魚、パンより米。時には玄米や七分米、十六穀米などの栄養価の高いものを食べることもある。日本人の体にとって正にベストな食卓だ、と今では思う。

だが、まだ小学生だった私にはその素晴らしさに気付くことができなかった。

小学三年の運動会の日。みんなが楽しみなお弁当の時間は私にとって憂鬱な時間だった。当時流行っていたアニメのキャラクター弁当を持ってきている子や、カップの底に書かれている占いを見せ合って盛り上がっている子たちが羨ましかった。それに比べて、米、魚、野菜のいかにもサラリーマンが好みそうな無表情な私の弁当は誰にも見られたくなかった。

中学に入学し、私はバスケットボールを始めた。ある日、バスケの雑誌を読んでいるとこんな言葉に出会う。
「しっかり食事を摂るようになったことで、いつも同じコンディションでプレーできるようになった」

振り返ると、母の料理はいつも栄養バランスが整っており、できるだけ化学調味料などが使われていないものを選ぶといった細かい配慮も怠ることはなかった。母の料理はつまらない。散々ひどいことを言ってきたが、笑顔一つ絶やさずご飯を作ってきてくれた母の偉大さとともに、母の料理を食べることのできる自分がどれだけ幸せなのか、身に染みて感じられた。

今、世界では新型コロナウイルスが猛威を振るっている。日々の食事の積み重ねが重要になってくるだろう。「体は食べたものからできている」とよく言う。私は、今まで母がつくってきてくれた料理の力で、コロナウイルスを乗り越えられると信じている。

お母さん、私の体を第一に考えて料理を届け続けてくれたこと、心から感謝します。そして次は、私の番です。あなたの姿勢を学び、将来はあなたのような母になりたいです。

【萩原さんの作品に対する講評】

テーマ性、アピール度、そして文章表現の美しさなど、どの点から見ても第一級の作文です。書き出し「私の家族を一言で言い表すなら、正しく「健康体」だと思う。」から締めくくり「お母さん、私の体を第一に考えて料理を届け続けてくれたこと、・・・あなたの姿勢を学び、将来はあなたのような母になりたいです。」まで、選びぬかれたことばと研ぎ澄まされた表現がたたみかけるように並んでいます。萩原さんのことばの力、文章力に脱帽です。素晴らしい説得力のある作文です。

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先生はすぐそばに
千葉市立緑町中学校 一年 春木 陽向

私の先生は、いつもそばにいる。私の一番の先生は、二歳年上の兄だ。

兄は、優しく、勉強やスポーツなど、多くの才能を持っている。しかし、兄は完璧ではない。片付けが下手で、私と一緒に親に叱られることだってある。そんな兄は私にとって友達のような存在であった。

私が小学校五年生の時、兄は変わった。兄は、中学校に入学し、同時に大好きなサッカーをやめた。その頃から、兄は部屋にこもるようになった。話しかけると、嫌そうな顔で、「今疲れてるから」と言われるようになり、兄の存在が遠くに行ってしまう気がした。それから、昔の優しくて友達のような兄に戻ることはなかった。しかし、私は優秀な成績を残したり、賞を受賞したりする兄が時々うらやましかった。

ある日の夜、テストの勉強をしていると、珍しく兄が部屋に入ってきて、こういった。
「勉強を教えてあげるよ」

私は耳を疑った。口もきいてくれなかったので、私は兄から嫌われていると決めつけていたのだ。しかし、兄の成績が良かったこともあり、勉強を教えてもらうことにした。私は勉強が苦手だったので、時間がかかってしまい、深夜にまでおよんだ。私は、ただただ兄の教えてくれる勉強を聞いているだけだった。

翌朝母から、「何時に寝たの」と聞かれた。
「二時半ぐらい」
と答えると、母は、
「お兄ちゃん、今日から修学旅行で朝四時に起きて準備をして、すごい眠そうだったのよ」
と言った。

それを聞いて、私はすべてを理解した。兄は、片付けや準備が苦手なのにも関わらず、それを後回しにして私に勉強を教えてくれていたのだ。さらに、自分の時間を削ったせいでとても眠いのに、私が心配しないように、何も言わずに隠していたのだ。驚きとうれしさが混じった複雑な思いを、私の表情から感じ取った母は秘密の話を教えてくれた。
「お兄ちゃんはいつも部屋にこもって、弟に勉強を教えられるようになりたいと言いながら勉強を頑張っているのよ」
と母は言った。そのあとも、兄が私を思って行動してくれていることを母は教えてくれた。そして、最後に「お兄ちゃんには内緒ね」と笑顔で言った。

修学旅行から帰ってきた兄は、テスト前日の私に「お前なら必ずできるよ」と言い、学校へ向かった。私の心の中に、兄の言葉が響き渡り、目の前の霧が晴れたような気持ちになった。兄のおかげで、テストでは目標を達成できた。

私は、兄の姿から、才能があることがすごいのではなく、人に見えないところで、努力できることがすごいのだと学んだ。

そして、幼いころから変わらない兄の優しさに改めて気づくことができた。

今では、私にとって、兄は友達のような存在ではなく、一番尊敬しているかけがえのない「先生」だ。兄にもらった「お前なら必ずできるよ」という言葉を胸に、私も兄のような立派な「先生」になりたい。

【春木さんの作品に対する講評】

最初はもやがかかっているようにうっすらとしか見えないお兄さんの人柄が、間接的な描写を通してだんだんと具体的にくっきりと浮かび上がってくるように書かれています。実際にはかなり長い時間をかけてお兄さんのことを理解した過程が、短い文章の中でテンポ良く書かれています。語られたことよりも語られないことのなかにその人の本質が見える。そんなことを教えてくれる文章だと思います。

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想い
広島大学附属福山中学校 三年 加藤 里桜

私は父の仕事の関係で、小学一年生からの五年間をアメリカの現地校で過ごした。渡米する時、私は友達を沢山作ろうと張りきっていた。しかし、いざ学校へ通い始めると、相手が何を言っているのか分からないことへの恐怖心が、想像を遥かに上回った。また、現地の子達のお構いなしの会話スピード、距離感にも衝撃を受けた。私は段々と落ち込んでいった。それを心配した母は、自身も勉強しながらサポートをしてくれたが、私の気持ちは一向に変わらなかった。三ヶ月程経った時には、分かる質問にさえ、首を縦か横に振るだけになっていた。おまけに、私より四ヶ月前に渡米していた日本人の女の子を頼り、助けてもらえばいいや、どうせ分からないしと卑屈になり、現地の子達とも必要以上に関わろうとしなくなった。

この状態で半年ほど経った頃、皆の前で自作の物語を暗唱発表する時間があった。私は最低限しか喋らず、無難に終えた。暫くして、彼女の番が回ってきた。当然、まだ現地の子達に比べると片言なのだが、きちんと考え、覚え、準備してきたことが、私にさえすぐに分かった。しかし、それと同じ位、緊張しているのも分かった。途中、言葉が出なくなってしまった。私は、さすがに諦めるのだろうと思った。しかし、彼女は大きく一呼吸すると、すぐに日本語で忘れてしまった部分を話し、覚えている箇所からまた英語に変え、最後まで丁寧にやり抜いたのだ。彼女が発表を終えた瞬間、クラス中に拍手が鳴り響いた。笑顔の彼女を見つめながら、胸が熱くなった。なぜなら、その発表から、「想い」は伝わるよという、強いメッセージを感じたからだ。その日を境に、私は変わりたいと、強く思った。初めて、自ら英語を勉強しようと、必死になった。辿々しくても声にし、身振り手振りの毎日。やはり、すぐには身につかなかったが、一年半程経つと、彼女と一緒に現地の子達と毎日笑っている自分がいた。

確かに、言葉の違う相手に関わっていくことは、勇気がいることだ。それは私自身も経験し、感じた。しかし、コミュニケーションをとる時に重要な事は、その国の言葉が話せるかどうかではなく、「想い」を伝えようと努めることなのだ。真摯に相手に想いを伝えること。これはきっと日本人同士のコミュニケーションにおいても、同じことが言えるだろう。私は、大切な事を同級生の彼女の行動から教わったのだ。

お互い帰国し、彼女と普段はSNSでやり取りをしている。近くに感じられる速さでやり取り出来、確かに便利だ。しかし、長期の休みになると必ず彼女から手紙が届く。そこには、学校や友人のことが、彼女らしい丁寧な字で綴られている。手紙は、確かに時間も手間もかかる。しかし、見返すとお互いへの「想い」や成長が、字や内容から読み取れ、とても温かい気持ちになる。私はそんなコミュニケーションを、今後も大切にし続けていきたい。彼女からの手紙を手にし、改めて強く思った。

【加藤さんの作品に対する講評】

想いは伝わる! 里桜さんのメッセージが心に響きました。渡米して現地校で思うようにコミュニケートできない苦しさやもどかしさが伝わってきます。自作の物語を暗唱発表する時間になると「最低限しか喋らない」戦略で無難に終えたと思い込んだ里桜さん。しかし友人は違っていました。準備してきたことを発表しはじめ、緊張で忘れてしまったところは日本語で話し続け、また英語に戻って発表をやり抜いたというのです。クラス中に称賛の拍手がわきあがりました。想いは伝わる! これを機に、里桜さんは本気で英語学習に取り組むようになります。彼女との友情は帰国後の今も続き、将来も続くだろうと予見させてくれます。留学によって英語力だけではなく友情も手に入れることができたのですね。

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父の姿
周南市立富田中学校 三年 上村 玲菜

「親の背を見て子は育つ」
ということわざがある。私はこのことわざを知って一番に父の姿を思い浮かべた。私にとっての先生、それは私の父だ。

私の父は銀行員だ。そしていつも、朝早くに銀行に行って周辺の掃除をしている。私は掃除をする係なのかな、と思ったが、それは父が自主的にやっていることだと知った。その時私は疑問に思った。指示されていないのなら、父が掃除する必要はないのではないか、と。

また、父と駐輪場に行ったとき、置いてある自転車が連続して倒れていた。そして父はそれを一台ずつ丁寧に戻していた。私はそれを見て驚いた。自分の自転車を他のところに置けば父には全く関係のない出来事のはずなのに。もし私が父の立場だったら無視してしまうかもしれない。このように父は「人に見られていなくても、善い行いをする」ことができる人だ。だから、私は小さい頃から父をお手本にしている。

一方、私は中学生になり、総務委員を務めた。総務委員というのは、専門的な仕事がない。例えば、給食委員は給食のこと、保健委員は保健のこと、などの何か特別な仕事をもっている。しかし総務委員は周りの状況を見て行動する。これが仕事だと私は思う。だから私は気づいたときに配布物を配ったり、窓を閉めたりクラスのために行動している。これらは父の行動に似ていると思った。誰にも見られていないのかもしれない。それでも総務委員として、人として、やらなければいけないという責任感が私にはあった。

人は誰かに認められないと、行動することは難しい。その行動によって誰かに褒められたり、自分にとってプラスになったりしないと意味がないと思ってしまいがちだ。しかしそれを言うと父は、
「人として当たり前のことだ」
と言った。その時私は、はっとした。自分の行動は、誰かに見られているか、いないかで決めるものではない。そして私は気づいた。何をすべきかは自分で分かっているはずなのにそんなルールを勝手に作っていることに。

私は、親の言動による子どもへの影響は大きいと思う。現に私は父の行動に注目していなければ、私の責任感は生まれなかったと思う。

「親の背を見て子は育つ」
このことわざの意味は、親と一緒に暮らしている子どもは親のよい面もわるい面も自然に身につけてしまうから、親は普段から自分の言動に気をつけるべき、だそうだ。私はこのことわざの「よい面」で育ってきていると知り、本当に父には感謝しているし、尊敬している。そして、父が私に示してくれたように善行を当たり前にできる人になりたい。

【上村さんの作品に対する講評】

「人としてあたり前のこと」をお父さんの背中から学ぶことができるなんてうらやましいですね。銀行員のお父さんは、先生になろうとしているわけではありませんが、玲菜さんにとって立派な人生の先生です。普段の親子関係が想像できます。

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■ 海外賞

海外日本人学校等からの応募作品に贈られる賞です。

小学1~3年生の部

イレルさんのひみつ
サン・ジェルマン・アン・レー日本語補習授業校(フランス) 小学一年 アップ 咲織

イレルさんはおとうさんのおしごとの先ぱいです。九十九さいでまだはたらいています。げんきなおじいちゃんです。イレルさんはユダヤ人です。とてもやさしくて、わたしがあそびにいくと、テレビをつけてくれました。おえかきもいっしょにしました。おとうさんがはなすとき、イレルさんはいつもほほえんでいます。

イレルさんにはひみつがあります。そのひみつはおとうさんがおしえてくれました。イレルさんのうでにばんごうがかいてあります。はんこでできたばんごうです。これはおふろに入ってもけせません。石けんでもけせません。「どうして?」とききました。すると、おとうさんは「それはね、むかし、せんそうのとき、ユダヤ人はみんないじめられてはんこをおされたんだよ。りゆうはユダヤ人だから」とおしえてくれました。へんだとおもいませんか。

わたしのうでにもしもはんこがあれば、なんではんこをつけなきゃいけないの? といいます。いたいかもしれないし、かゆくなるかもしれないし、けせないからいやです。ほかの人とちがうといわれていじめられるからです。日本人だからというりゆうではんこをおされたら、そういうきびしいことはやめてくださいといいます。どうしてユダヤ人だといじめられるのか、りゆうをききたいです。大きくなったらどうしてせんそうのときにユダヤ人がいじめられて、はんこをおされたのかしらべたいです。

わたしがイレルさんだったら、せんそうはもうこりごりです。わたしにとって、イレルさんはせんそうがどんなにいやだったかおしえてくれる先生です。

イレルさんはむすこが二人います。だからうれしそうです。もうすぐイレルさんの百さいのおたんじょう日です。つぎにあったら、うではいたくなかったか、きいてみたいです。

【アップさんの作品に対する講評】

99歳のイレルさんのうでにばんごうがかいてある。おふろであらってもけしゴムでけそうとしてもけせないばんごう。おとうさんから理由りゆうは「ユダヤ人だから」。もし、自分が「日本人だから」という理由でばんごうをつけられたらどんなにくるしいだろう。どんなにかなしいだろう。こんなことが平気へいきおこなわれていた「せんそうはもうこりごり」。そのようにかんがえさせてくれた「イレルさんはせんそうがどんなにいやだったかおしえてくれる先生」と気づきます。咲織さんは、しょうらい戦争せんそうのない世界せかいつくり手になっていくでしょう。平和へいわへのメッセージが、しみじみと、こころにしみいる作文でした。

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小学4~6年生の部

じさま大工
オタワ補習校(カナダ) 小学四年 間宮 陽優吾

ぼくがカナダで住んでいる家は、築百年いじょうのとても古い家です。その古い家の地下をリノベーションすることになりました。そこで直してくれる大工さんを見つけることにしました。

ある日学校のお迎えの時、誰かの家で仕事をしていたライノという名前のじさま大工にお母さんが声をかけて、じさまが地下を直してくれることになりました。どうしてじさまに頼んだかというと、じさまのトラックのトランクルームの中がとてもきれいに整理されているのをぐうぜんに見たからだそうです。これは「カナダの大工さんではなかなか見ない、これはできるじさまだ!」と思ったそうです。

ライノはフランス語を話す大工さんで、英語も話します。ぼくとじさまが会話するときは、フランス語に少し英語が混ざります。よくしゃべるじさまで、いろいろな面白い話をきかせてくれます。たとえば、仕事が終わってから何をしたいか、好きなスポーツカーの話、自分の家族の話、今までにどんな仕事をしたかなどをずっとしゃべり続けます。

昨日はじさまがフランス語で、
「ギャルソン(フランス語で男の子の意味)、インソレーションを知っているか」と聞くので、
「しらない、それ、何?」と聞いたら、
「インソレーションは部屋をあたためるためのもので、かべに貼り付けていくものだ。はだにつくとかゆくなるから、長袖に長ズボン手袋を着ていないといけないんだ」と教えてくれました。

じさまは、なかなか人の名前を覚えないらしく、ぼくのことも「そこの男の子」という意味でギャルソンとよびます。ちなみにインソレーションとは、壁と壁のあいだに入れるだんねつざいのことです。カナダのだんねつざいの色はピンクで綿飴みたいです。そしてじさまは、得意の歌をうたいながらしごとをつづけていました。

ぼくは一ついい勉強をしました。

じさまは仕事をしている時、いつも違うぼくのしらない歌をうたっています。今日はじさまのお母さんが歌ってくれた歌を歌っていました。とても古い歌だそうです。

僕がテレビを見ている時、宿題をしている時、
「ワオ!!!」と急に言います。これはいい仕事ができた時に言う言葉です。さいきんでは、びっくりした「ワオ!」なのか、うまくいく時の「ワオ!」なのか少しわかってきました。

じさまは細かい仕事をする人です。地下を直し始める前にトイレのドアを直してくれました。このドアはきちんと閉まらなくて、ぼくのお友達が来た時に困っていました。でもじさまが直してくれたので、今まできちんとしまらなかったドアが『クリン』と言う音をして閉まるようになりました。お母さんは、これを見て、このじさまはやっぱり「できるじさまだ!」とかくしんしたそうです。

そしてうちはとても古い家なので、地下も直すのがとても大変だそうです。地下は天井が低くて床も真っ直ぐではないからです。でもじさまはむずかしいほどチャレンジする人です。細かいしごとほど集中できるそうです。そして仕事のオンとオフもしっかりきめています。そういう姿勢がぼくはすごくかっこいいとおもいます。

僕もオンとオフのスイッチをしっかり着けられる人になりたいです。

そして今日もじさま大工ライノは、歌を歌いながら、「ワオ!」と言いながら、がんばって自分のしごとをしています。

じさまは、自分でぜったいにそう思ってないだろうけど、じさま大工ライノは、ぼくのかっこいい先生です。そして初めて会った時に何かを感じたけれど、やっぱり! なんと僕と先生は同じ誕生日だったのです!

【間宮さんの作品に対する講評】

「じさま」が私の頭の中で生き生きと動き出しました。まるでアニメーション映画を見ているかのようでした。じさまのことを本当によく観察しているから、これだけ見事にじさまの外見、内面、動きを描けるのだなと思います。じさまのようなかっこいい大人に出会ったときに、よく観察すると、自分もかっこいい大人になれると思います。これからも観察を続けてください。

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中学生の部

英語が話せなかった私とミセス・リード
オタワ補習校(カナダ) 中学二年 田中 莉於奈

私はカナダで生まれ、カナダで育った、正真正銘のカナダ人だ。なのに、小学校に入ってからも私の英語力はとてつもなく残念だった。自分の誕生日すら英語で言えないほどに。だから学校は、毎日六時間、謎の呪文が唱えられているだけの場所だった。

二〇一五年九月。小学一年生になって数日で、私の英語力は不十分だと見做され、第二言語としての英語(ESL)をとることになった。週一回一時間、クラスのみんなが別の授業を受けている間、ESLのミセス・リードの授業を受けることになったのだ。ESLには私を含め五人いたが、カナダ生まれカナダ育ちは、私だけだった。

ミセス・リードのクラスでは、カードに描かれた物の名前を英語で言ったり、英語の本を音読したりと、厳しい修行を積んだ。他の生徒達の顔は正直覚えていない。いや、覚える余裕なんて無かったのかもしれない。それくらい、私は追い詰められていた。なのに、ESLの他の子供達は、どんどん英語が話せるようになり、いなくなり、ついにその年度の三月には、私だけが残った。

一方、通常クラスにクラフトのボランティアに来ていた母と担任の先生とミセス・リードは、私の教育について、話し合いを重ねていた。詳細はわからないが、小一がそろそろ終わる五月のある日、ミセス・リードは、小さなカナダ国旗のバッジを五十個と、英語で書かれたクラフトの本を二冊、私と母に渡して言った。
「リオナ、今は、あなたが一番得意な言葉で日本の学校を楽しんできて。同じ年齢の子供と自分が最も得意な言葉でやりとりする経験が、きっとあなたの将来の英語をもっとリッチにするから。国旗と本は、日本のお友達へ、私からのギフトよ」

この後、私は二ヶ月ほど日本の小学校に体験入学することになった。日本の先生も友達もとても親切で、私は日本語を自由に話せる環境を大いに楽しんだ。

小二になり、またミセス・リードのESLが始まった。以前の経験のおかげで私も自信がつき、頑張れた。小三になると、もうやめてもいいと言われたが、話すのは苦手だったので、あと少し続けることにした。

しかし、終わりは突然来た。相変わらず英語に苦手感はあったが、英語で書いた詩で学内の賞をとったのだ。また、EQAOというオンタリオ州内での学力試験で、それまで英語が分からなくて質問の意味もわからないと思っていた算数で上位一パーセントに入り、英語でも上位十パーセントに入った。流石に少しひいた。
「ちゃんと韻を踏んだ詩が書けて、英語で上位十パーセントの子にはESLは要らないでしょう?」
ミセス・リードはにっこり笑って私に告げ、私のESLは終了した。その年、スクールボードでは、大幅なESLの予算カットが行われ、先生は退職した。私は先生の最後の生徒になった。

月日は流れ、中学二年生になった今、私は英語で物語を書くのを楽しみ、数学では首席の賞をもらうほどになった。英語が話せなかった私の英語は、ミセス・リードが言った通り、リッチになった。なんなら、今では日本語より得意だ。ミセス・リードが、今もどこかでESLの先生を続けていてくれることを願う。

彼女のような人のことを恩師と呼ぶのだろう。

【田中さんの作品に対する講評】

教育者としてのミセス・リードの偉大さが伝わってきます。大人が大きな人生観で見守ってあげていれば、「そのとき」が来たときは子どもはその子らしく伸びていく。そんなことをミセス・リードは知っていたのでしょう。そして優れた教育の成果を、その教育者は直接的に知ることはなかなかできない。そんな宿命も彼女は知っていたのでしょう。そんな奥深いミセス・リードの教育観が、余計な装飾のない素朴な文章からリッチに伝わってきます。素朴だからこそリッチに伝わるのだと思います。

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