表彰式・作品レポート

2024年度の受賞作品をこのページでご紹介します。作者のコメント・審査委員の講評も併せて掲載しています。

■第6回子ども作文コンクール応募点数
ブロック 東日本 西日本 海外 合計
小学1~3年生の部 95 77 16 188
小学4~6年生の部 55 121 8 184
中学生の部 473 173 8 654
合計 623 371 32 1026

今年は国内からは994点、海外は6の国から32点の作品が集まりました。
2024年11月10日に、明治記念館 富士1にて、表彰式を開催しました。第16回環境教育ポスターコンクール表彰式との同時開催です。会場には受賞作品が展示され、審査委員による講評も同時に掲載されました。

会場の様子 展示の様子

子ども作文コンクール表彰式では、受賞者に表彰状・副賞が授与されました。文部科学大臣賞の受賞者からは、受賞した作文を朗読していただきました。

作文授与の様子 作文朗読の様子

受賞者による作文朗読の様子はこちらの動画でご覧いただけます。※文部科学大臣賞の朗読動画3本です。

  • 【文部科学大臣賞】
  • 星野学園小学校2年 室岡 美智嘉
  • 【文部科学大臣賞】
  • 福岡市立箱崎小学校6年 渡邉 咲空
  • 【文部科学大臣賞】
  • 龍谷大学付属平安中学校2年 鳥居 賢澄

式の最後に、審査委員長のおおたとしまさ様より、作品全体の講評をいただきました。

受賞者の皆様、ご家族の皆様おめでとうございます。

先程、3つの文部科学大臣賞の作品をステージ上で朗読して頂きました。とても見事な文章でした。
私は文章を書く事を仕事にしていますが、どうやったらこのような文章が書けるのか、*室岡さん教えてもらって良いですか?(*室岡さん:作文小学校低学年の部、文部科学大臣賞受賞者)
自分の前に現れた先生からの気付きや学び、経験を見事に文章で表現してくれました。

受賞した皆さんの作品からは文字になっている以上のものが伝わってきます。皆さんが先生に出会った時の心の震えが文章を通じて、更に伝わってくる。何ミリ震えたなどは書いていないけれど、それが伝わってくるのが作文の不思議で素敵なところです。受賞者の皆さんは振動を伝える事に大成功したという事です。

そして、中学生部門受賞者の鳥居さん、グランパの事を描いた臨場感あふれ、無駄のない文章、まさにジャーナリストだったグランパ譲りの文章だと思います。冒頭は昭和の電化製品を思わせる文章でグランパが登場しますが、だんだんグランパの人間味、仕事にかける情熱が伝わってくる。仕事の中で同僚を亡くした等、様々な困難を乗り越えた、グランパの人生が伝わってくる。

この3作品以外にも受賞された方々、また受賞までは届かなかったけど、応募して下さった1,000点以上の作品、全てが素晴らしい作品です。作文は比べたり、競ったり、何が一番かを決めるものではないと思います。どういう作品が正しい、どういう文章が正解などの基準はありません。
自分が何かに感動をしたり、驚いたりした。その心の振動、心が震えた状況を文章にする作業を試行錯誤しながら続けていく事でしか自分の文章は書けない。そして自分の文章ではないと相手に伝わらないですし、自分の感じた心の震えを相手に伝える事は出来ない。
そういう意味でも自分で考えた文章を作っていかなければならない。文章を読む事で、その人の人格まで見えてくる事があります。一方で、文章を書く事で人格が形成されるという事もあります。
生きていれば多くの体験をします。その多くの体験は時間と共に過去へ流れていきます。しかし、「これは大切だ」と思った時に、それを文章にし、言語化する事で、普通であれば流れていく体験が自分の中に意味を持って刻み込まれる。そうする事で新しい自分が生まれる。そして新しい自分がまた何かを体験する。それは作文でなくても絵を描く事や音楽を作る事でも良いと思います。自分にとって大切な体験・感動を表現する。そうするとそれがまた自分の中に刻まれて新しい自分になっていく。
そうやって人間は自分自身を形成していくのだと思っています。

もう一つ、言語化にはいいことがあります。作文を披露した事で、皆さんの先生から、ここにいる皆さんも学ぶ事が出来た。そうする事で皆さんにとっての先生の教えが広がって、別の人にとってもその人が先生になります。
私も審査員という立場で作文を読ませて頂きながら、皆さんの先生方から学ばせてもらいました。
先生は最初から先生としてそこにいるのではなく、何かすごく大切な事を知った、学んだという瞬間や体験を通して目の前にいる人やモノや状況が先生として立ち現れるんですね。沢山の先生と出会える人生は、豊かな人生なんだと思います。

そう考えるとこのコンクールにはとても意義がある。比べたり、競ったり、何が一番かを決める為にやっているのではない。コンクールを通じて子供たちに沢山の先生と出会ってほしい。たくさんの先生を見つけて欲しい。そして豊かな人生を送ってほしい。そんな願いを込めて、このコンクールは行われています。

この受賞で終わる事なく、明日からも沢山の先生と出会って下さい。
そして素敵な文章を来年も送ってくれたら嬉しいなと思っています。
本日は誠におめでとうございます。

表彰式の様子 表彰式の様子

第6回子ども作文コンクール:受賞作品と審査員講評

ポスターコンクール・公募展の受賞作品はこちらをご覧ください。

【受賞者一覧】※受賞者名をクリックするとその作文に移動します。

文部科学
大臣賞
小学1~3年生の部 星野学園小学校 室岡 美智嘉
小学4~6年生の部 福岡市立箱崎小学校 渡邉 咲空
中学生の部 龍谷大学付属平安中学校 鳥居 賢澄
理事長賞 小学1~3年生の部 つくば市立竹園西小学校 保田 怜
小学4~6年生の部 敬愛小学校 安田 彩乃
中学生の部 敬愛中学校 安田 悠真
学研賞 小学1~3年生の部 福岡市立箱崎小学校 渡邉 碧生
小学4~6年生の部 早稲田実業学校初等部 鈴木 美陽
中学生の部 大洲市立肱川中学校 北地 梨衣紗
銀賞 小学1~3年生の部 江差町立南ヶ丘小学校 篠原 心海
小学4~6年生の部 松山市立道後小学校 北地 菜々美
中学生の部 三田市立八景中学校 大塚 和々
銅賞 小学1~3年生の部 町田市立町田第四小学校 宮田 愛花
小学4~6年生の部 世田谷区立松丘小学校 岸田 ひかり
中学生の部 横浜市立早渕中学校 山田 万葉
入賞 小学1~3年生の部 松戸市立梨香台小学校 所 暖
小学1~3年生の部 宇都宮市立富士見小学校 宮岐 諒大
小学4~6年生の部 盛岡市立桜城小学校 山田 永菜
小学4~6年生の部 智辯学園和歌山小学校 佐久間 菫
中学生の部 苫小牧市立啓明中学校 近藤 芦羽
中学生の部 高槻市立第二中学校 後藤 楓奈
海外賞 中学生の部 チューリッヒ日本人学校補習校 ブルックナー愛美海

■ 文部科学大臣賞

小学1~3年生の部

小さな小さなわたしの弟
星野学園小学校 二年 室岡 美智嘉

わたしには一才くらいに見える三才の弟がいる。なぜ小さいかというとよてい日より4か月も早く生まれたからだ。生まれたときは自分でいきをすることもできず、生まれてから半年間入いんしていた。たいいんしてうちにきたとき、思っていたより小さい弟を見て何があってもわたしがまもろうと思った。
弟はねがえりをうつことも、立つことも、すごくおそかった。だからいつもいっしょにれんしゅうをしてあげた。弟はできないことがたくさんあったけれど、そんなときに心が負けないように「にこにこして。気にしないよ。」といつも声をかけてあげた。
今年の春、弟が入えんすることになった。お兄ちゃんもわたしも心ぱいで、入えんしきにさんかすることにした。一人赤ちゃんがいるのかなと思うくらい小さくてふあんになったけれど、しきがはじまるとちゃんとすわって先生の話を聞く弟がいた。それからの弟は、どんどん言ばがふえ、ようちえんでおぼえたうたを聞かせてくれるようになった。
わたしも2年生になり、べんきょうがたいへんになった。がんばってもまちがえてしまい、いらいらすることがふえた。お母さんに「もう一どやってみたら?」と言われても「できないから。」とわたしはにげた。
その時「いいこ。にこにこして。できない、きにしないよ。」わたしが教えた言ばを弟に言われ、どきっとした。弟はいらいらしているわたしを、自分の知っている言ばでせいいっぱいはげまそうとしているのだと思った。
立てずにしりもちをつく弟。歩けなくてころぶ弟。うまく話せず思いがつたえられない弟。それをずっとたすけてきたつもりだったけれど、ほんとうは、できないことが多い弟ではなく、なんどしっぱいしてもあきらめないつよくてたくましい弟だったのだと気がついた。そんな弟のお姉ちゃんであるわたしが弱いはずがない。わたしは弟にとって自まんのお姉ちゃんでいたい。お姉ちゃんに大せつなことを教えてくれてありがとう。だいすきだよ。今夜もたくさん絵本読んであげるからね。

【室岡さんの作品に対する講評】

「いいこ。にこにこして。できない、きにしないよ。」
弱気になった筆者を救う言葉は、筆者みずからがかつて弟にかけていた言葉でした。この言葉の重味や意味が伝わるように弟さんについて具体的に書かれています。なぜ弟さんが「先生」なのか読み手に納得させるように書けています。「弱い」のではなく、見方を変えるというのがすばらしい気づきです。

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小学4~6年生の部

「できる」を見つけて
福岡市立箱崎小学校 六年  渡邉 咲空

「できない事を考えて落ち込むより、できる事を考えて楽しみなさい!」
これは私の一番の先生である母の決まり文句。母はいつでも前向きでよく笑う。母を一言で表すならば「強い人」だ。

私には生まれつき心臓病がある。とても珍しい病気で、今のところ治療法がない。体育など友達と同じようにできない事も多いが、実を言うと今まで特に困った事はない。それはたくさんの人が私を支えてくれているからだ。学校の先生方は、私が参加できるように、内容や方法を考え工夫してくださる。炎天下での競技が続く運動会では、テント内でできる得点係という大役を任された。算数好きの私には願ってもない提案だとありがたかった。また友達は家庭科や図工が得意な私を認めてくれている。裁縫の学習中、何人もの友達が「何でそんなにきれいにできると。教えて。」と私を頼ってくれた。頼られたのが嬉しくて自分そっちのけで手伝っていたら、私自身が時間内に完成しなかった苦い経験もある。このように私が楽しく学校生活を送れるのは、もちろん先生方や友達の理解と協力のおかげだ。だがそれは母の努力の上にあるのだということを私は知っている。

母は、病気の私がしたい事をどうすればできるか、いつも一緒に考えてくれる。例えば長く歩けない私は遠足や宿泊行事への参加がとても不安だ。友達と一緒に活動できるか、途中できつくなって迷惑をかけないか、心配し始めるときりがない。不安はどんどん大きくなり、心が押しつぶされそうになる。夜もねられなくなるほどに。だが母は、
「母ちゃんが近くで待機したら大丈夫やろ?」と明るく言う。当然と言わんばかりの顔で。母が近くで待機する形で、私が友達と同じように参加できるよう学校の先生方にお願いしてくれた。母は病気だから「できない」「しない」ではなく、できる方法を常に探す。もちろん母一人の力ではできない事もある。そんな時、母は進んで周りの人の力を借りる。人に助けを求められるところも、母の強さかもしれない。心配し悩む私から見ると、母の姿は頼もしいと同時に、うらやましくもある。

私は六年生になった。どんな時でも前向きに考える姿勢を私に見せ続け、「生きる楽しさ」を教えるかのような母が、最近、私から離れ始めた。といっても距離的なことではない。この授業は参加できるか、参加するにはどうすれば心配ないか、担任の先生とのそんな相談を少しずつ私に任せ始めたのだ。私の考えや思いを伝える。決して簡単ではないが、母と相談しながら私は日々がん張っている。

私の名前には前向きな母らしい想いが込められている。「咲」には笑うという意味があるそうだ。「空を見上げ胸を張って笑顔で生きてほしい。」私はこの名前をとても気に入っている。これから先、壁にぶつかる日が来るかもしれない。そんな時は、こう考えるんだ。「落ち込むより、できる事を考えて楽しむ!」うつむかず、空を見上げよう。胸を張って私は笑顔で生きていきたい。強い母のように。

【渡邉さんの作品に対する講評】

咲空さんのお母さんの前向きさ、強さ、愛情の深さが短く歯切れのよい文体で心地よく描かれています。「人に助けを求められるところも、母の強さかもしれない」そう気がついた咲空さん。生きるということはつらいこともあるかもしれないけれど、「できる事を考えて楽しむ!」とお母さんの言葉を胸に、明るく乗り越えていこうという強い決意で締めくくられています。「愛」とは何かを教えてくれる素晴らしい文章です。

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中学生の部

グランパ先生
龍谷大学付属平安中学校 二年 鳥居 賢澄

「グランパ先生に聞いてくる」
我が家には何かと質問を投げてしまう高性能かつ、生き字引のような賢人が居る。その知識たるや、グーグル先生より雄弁で、かつ関連性のある話題をさらりと補足してくれる。政治からアニメ、自然から工学まで、マルチな才能をもつその名は、グランパと言う。
グランパは日本製の昭和タイプ。正確には、母方の祖父であり、私が物心ついた時から一緒に暮らしている大切な家族の一人だ。グランパは、四十三年間、発行部数世界一というギネス記録をもつ新聞社に勤めていた。その中でも関西一円の事件や災害はもちろん、日本全域の取材をしてきた。多種多様な人々に出会い、話を聞き、五感を使って仕事をしてきたエキスパートである。
一九九一年六月三日、一九九五年一月一七日。この日付は、グランパにとって大きな意味をもつ。まず、六月三日は長崎県雲仙・普賢岳で大火砕流が発生し、四十三名の犠牲者を出した自然災害だ。グランパは災害発生の知らせと共に、現地へ急行したそうだ。怖くなかったかと聞いたが、それ以上の責任とプライドがあったからだ。危険を顧みず、取材をすることで、一人でも多くの人へ情報を伝えるというジャーナリズムだ。
しかし、同じ本社に勤務するカメラマンの田井中次一さんは、火砕流に巻き込まれ、命を落とした。田井中さんは自分の体でカメラをかばったまま亡くなっており、迫りくる火砕流の激しさを収めた写真が残された。大変ショッキングな出来事だが、最期の時までカメラを守る田井中さんの行動は、プロフェッショナルの成した業である。自身の仕事に誇りをもって生きていた証だと思う。
そして、一月十七日は淡路島北部を震源とする、阪神・淡路大震災が起きた日だ。震度七という揺れは、耐震機能が備わっていない当時の建物たちをことごとく全壊に追いやった。また、二次被害の大きな一端となった火災が影響し、死者は六千四百三十四名にも上った。
グランパは雲仙の時と同様、地震直後に唯一運行していた京阪電車に乗って会社へ向かった。大阪本社からは社用ヘリで神戸総局へと現地入りし、震災の生々しい傷跡を目の当たりにした。被災した人々へ正確な情報を伝えるべく、倒壊した街中から、少しでも役立つ記事を書き続けた。記者たちは一週間入浴出来ず、食事は真夜中に一食のみ。余震が続く中、丸椅子に腰掛けながら僅かな睡眠時間をとる毎日を過ごしたそうだ。
働き方改革を謳う現代において、このような仕事内容は推進されない。一方で、信念をもって勤められる仕事に就くことは幸せだと思う。その背中をもって、私に経験の全てを見せてくれるグランパこそが人生の先生だ。

【鳥居さんの作品に対する講評】

「高性能かつ生き字引のような賢人」の名はグランパ。グランパは新聞記者。長崎県雲仙普賢岳の大火砕流発生にも阪神淡路大震災にも現地取材に駆けつけ身を挺して記事を発信しつづけた人である。賢澄君はこの人の生き方を身近に見聞きし、親しく語り合い、温かい交流を重ねるうちに、“人が信念をもって勤められる仕事に就くことは幸せなことだ”と悟っていきます。グランパの生き方を知って「グランパは人生の先生である」と結論するまでの心の動きを的確に表現している秀逸な作文です。静かな感動が体中に広がるのを感じました。

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■ 理事長賞

小学1~3年生の部

ぼくの灯台
つくば市立竹園西小学校 三年 保田 怜

「これから、やすだれいくんの、お話しの練習を始めます。よろしくおねがいします。」
「よろしくおねがいします。」
これは、ぼくと先生が発音訓練を始める時のあいさつだ。ぼくの先生は言語聴覚士の伊智先生。沖縄出身で背の高い男の先生だ。ぼくは、年長から小学二年生までの二年間、毎月、発音の訓練のため先生の病院に通っていた。

ぼくには正しく発音できない音があった。自分では正しく発音できていると思っていたが、「石」は「いち」になるし、自分の名前も「やすだ」が「らすだ」になってしまっていた。正しい発音は実はとてもふくざつだ。口の中の舌の形や息の通し方は、むずかしくてこんがらがる。でも、先生はやさしくて失ぱいしてもぜったいにおこらない。楽しく訓練できるように工夫してくれ、いつもぼくによりそい、はげましてくれた。

一年生の時、ぼくのちぎり絵がクラス代表として市の芸術展に出展された。宝箱をのせ帆をはためかせて、大海原をどうどうと進む海ぞく船をちぎり絵で作った。ぼくは出展されたことがとびあがるくらいうれしくて、先生に一番にほうこくした。写真で作品を見た先生は目を丸くして「すごいね。がんばったね。」といっしょによろこんでくれた。ぼくは正しく発音できた時と同じくらい、とてもほこらしい気もちだった。

先生はぼくの灯台みたいだ。進む方向をてらし教えてくれる。ぼくは二年間、家でも発音を練習した。上手くいかず、時にはポロポロなみだが出た。それでも休まず毎日続けた。

きょ年の十二月ついに発音訓練を卒業した。最後の日、先生から手作りの卒業証書をもらった。ぼくは二年間のことを思い出して、うれしさとさびしさでむねがいっぱいになった。

今ぼくは、灯台をはなれ大海原へこぎだした。まだ時どき発音がうまくいかないこともある。お守りは伊智先生と訓練した時間と、この卒業証書。きっとだいじょうぶ。
さあ、進もう!

【保田さんの作品に対する講評】

言語聴覚士の伊智先生は「ぼくの灯台」。なぜか?「口の中の舌の形や息の通し方はむずかしくてこんがらがる。でも、先生はしっぱいしてもぜったいにおこらない。楽しく訓練できるように工夫してくれ、いつもぼくによりそい、はげましてくれた。」先生への感謝の念がじんわり心にしみこんできます。的確で適切なことば選びとリズミカルな語り口、さらに、一字一句に心をこめて丁寧にしたためられた作文は説得力があり読者の心に大きな感動を呼び起こしてくれます

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小学4~6年生の部

先生と心の鈴
敬愛小学校 六年 安田 彩乃

私は心に、かわいい鈴を持っている。音楽の時間にだけ現れる、小さな小さな鈴。嬉しい時は、まるでスキップするように、コロンコロンと心地よい音を立てる。困ったことがあった時は、落ち着いて、とささやくように、チリンと鳴る。私の心の鈴を鳴らしてくれるのは、音楽の藤原先生だ。

藤原先生は、私が一年生の頃からずっと、音楽の授業を担当してくださっている。私は藤原先生の授業が大好きだ。授業の始まりにはいつも、流れるような手つきでピアノを弾いてくれる。藤原先生の音には、私のほほをふわりとゆるませてくれる、不思議な力がある。少しでも早く藤原先生に会いたくて、廊下を小走りしてしまう時もある。先生は、息を切らせる私を見て、にっこり笑ってくれる。そんな時、私は心の中に鈴の音を感じる。
「よく来たね。今日も音楽を楽しもうね。」
私の心に届く、先生からの小さなメッセージを感じて、私は鈴と一緒に弾み出したいような気持ちになる。私がこの心の鈴を自覚したのは、今年四月の入学式のことだった。私の学校では、入学式で六年生が校歌を歌うことになっている。私達は昨年末からずっとこの日のために練習を重ねてきた。藤原先生も熱心に指導してくださった。いよいよ式が始まる時間に、先生がいつもの笑顔で、
「この調子なら、本番もきっと大丈夫。」
と励ましてくださったけれど、心配性の私はちょっぴり不安だった。大きな声で歌えるかな。新一年生に、この歌を好きになってもらえるかな。心臓の音が少しずつ大きくなって、のどの近くでドクン、ドクンとリズムを打っている。ステージに上がる足がふるえる。どうしよう。そんな私の耳に届いたのは、藤原先生の声だった。
「大丈夫。大丈夫。」
私は驚いて顔を上げた。先生はステージの向こうのピアノの前に座っている。それなのに、まるで私のすぐそばにいるように、はっきりと先生の声が聞こえた。いつもの優しい先生の声。私はほほの力がゆるんで、練習の時と同じように、心をこめて校歌を歌うことができた。歌い終わって一息つくと、ステージ上から藤原先生が見えた。先生は私達に向かって、両手で小さくオーケーサインを送ってくれた。その時、私の心の中で、小さな鈴がコロンと鳴った。良かったよ。頑張ったね。心の中の先生の声に合わせるように、鈴が嬉しそうに音を立てた。私は弾む鈴の音に合わせるように、軽やかな足取りでステージを下りた。

藤原先生のことを思う時、私の心の鈴は、いつも楽しい音を立てる。それは、私なりのリズムで奏でる音で、音楽と呼べないものかもしれない。けれど、私はこの鈴の音が大好きだ。いつか勇気を出して、先生にこの鈴のことを打ち明けたい。先生はきっといつもの笑顔で聞いてくださるだろう。それを思う今も、私の心の中には、あの鈴の音が広がっている。

【安田さんの作品に対する講評】

心の状態を鈴の音にたとえることで、感情が生き生きと伝わってきます。ものすごい上級テクニックですね。そのほかの点でも、繊細な感情を表現するのがとても上手です。その表現力があれば、人間を観察して、何気ない瞬間を文章にするだけで、物語になると思います。どんどん書いてみてください。一文一文が短く、それでいて力強く、圧倒的な筆力を感じます。

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中学生の部

麗しのペンギン先生
敬愛中学校 三年 安田 悠真

僕はこの作文コンクールに応募すると心に決めた六年前から、毎年、身近な先生への感謝の気持ちを綴ってきました。担任の先生、祖父、部活の顧問の先生。普段言えない思いを文章に乗せて、拙い言葉遣いながら、その時その時の精一杯の気持ちを表現してきました。中学三年生になった今年は、このコンクールに応募できる最後の年です。集大成とも呼べるこの年に、僕は父への思いを綴ろうと思います。
僕の父はペンギン先生と呼ばれています。でも、見た目が可愛いわけでも、ペンギンみたいにてくてく歩くわけでもありません。授業の始まりのチャイムに合わせて、両手をペンギンみたいにパタパタさせる様子から、「ペンギン先生」というあだ名がついたのだそうです。初めてこの話を聞いたとき、僕は恥ずかしさのあまり、顔から火が出るかと思いました。同時に、もっとしっかりして、と父に訴えたい気持ちでいっぱいになりました。
父は僕の通う中学校に隣接した高校で、数学を教えています。先生と聞くと、家でも背筋が伸びている姿を想像するかもしれません。でも父は、そんな姿とはまるで正反対です。家ではのんびり過ごしていて、ペンギンと言うより、象に近いかもしれません。ゆったりと寝そべる背中には、今にも小鳥が乗ってきそうです。僕は山ほど出される課題と毎日格闘しているのに、父は束の間の休息を楽しんでいる。そんな父を見ていると、羨ましいような、恨めしいような、複雑な気持ちになります。
「お父さん、学校でちゃんと仕事してるの」。と、つい憎まれ口をたたく僕と、「うん、けっこう頑張っているよ。」とのんびり答える父。このやり取りを、母や妹が笑いながら見守る。これが我が家の日常です。父は本当に仕事を頑張っているのかな。僕はずっとモヤモヤしていました。そんな中ついに先日、この疑惑を晴らす日がやって来ました。父の高校で、試験を受けることになったのです。父の仕事ぶりを見るいいチャンスだと、僕はワクワクしました。その一方で、頭の片隅を不安がよぎります。父がちゃんと仕事していなかったらどうしよう。他の先生に怒られる父の姿なんて見たくない。心の中に湧き上がった期待と不安の大きな渦に飲まれ、僕は試験勉強になかなか集中できませんでした。
そしてとうとう、試験の日がやって来ました。僕は緊張して父の待つ教室に行きました。父は笑顔で僕を迎えてくれました。黒板には父の字で試験の時間割が書いてあります。良かった、ちゃんと仕事している。僕は胸を撫で下ろしました。いや、まだまだ油断できないぞ。僕は自分の試験より、父の仕事ぶりが心配で仕方がありませんでした。やきもきしているうちに、試験開始五分前を告げるアラームが鳴りました。ふと父を見ると、手を体の横でペンペンしているではありませんか。ああ、お父さん、だめだよ。ペンギンになっているよ。僕は絶望にも似た気持ちになって俯きました。その時、教室中に声が響きました。
「試験の説明を始めます。」
凛とした父の声。僕はハッとして顔を上げました。黒板の前に立つ父が、みんなに注意事項を説明しています。困ったことがあったら、すぐに手を挙げて教えてほしい。必ず傍に行くから、最後まで頑張ろう。そう励ます父の姿は、いつもの父とは全く違って、頼もしく見えました。そして、説明が終わって僕と目が合うと、にっこり微笑んでくれました。お父さん、頑張ってるんだね。疑ってごめんなさい。僕も頑張るよ。心の中でこう呟いて、僕は試験に集中することができました。
その日帰宅してから、僕は母と妹に父の様子を話しました。しっかり仕事をしていたこと。家での姿とは見違えるくらい、てきぱきしていたこと。興奮気味に話す僕の言葉を、母も妹もニコニコしながら聞いていました。話しても話しても、父への思いが溢れてきて、言葉が尽きることはありません。そうこうしているうちに、父が帰って来ました。お父さんってすごいね、と伝えると、ふふっと笑って、ゴロンと横になりました。いつものこの寝姿も、とびきり麗しく感じるから不思議です。ペンギン先生、いつもありがとう。僕はあの日以来、父の背中にこう囁く毎日を送っています。

【安田さんの作品に対する講評】

寝そべる象に小鳥がとまる絵が浮かび、ペンギン先生のもつ雰囲気がそこで一気に伝わりました。そしていつ、「ペンペン」が見られるのかと、わくわくしながら読み進めました。絶望に似た気持ちになる悠真さんの様子と、シャキッと仕事をするペンギン先生の姿のコントラストが効果的です。さらに、最後は家に帰ってゴロンとするペンギン先生が描かれることで、なおさらに仕事中のりりしさが引き立っています。六年間、毎年応募してくれてありがとうございます。これからも書き続けてください。

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■ 学研賞

小学1~3年生の部

先生はやっぱりまほうつかい
福岡市立箱崎小学校 二年 渡邉 碧生

「いいね。いいね。」
これが一ばんうれしい。先生の言ばはふしぎ。まほうみたい。もっともっとがんばろうと思うんだ。

ぼくはミュージカルが大すき。ドキドキわくわくして元気が出る。見ているとおどりたくなって、ダンスをならいはじめた。家ではまい日お気に入りのCDにあわせ、うたっておどる。お母さん手づくりのいしょうをきて、やくになりきる。二かいせきに行くシーンは大へんだ。かいだんをいそいでのぼって二かいのお姉ちゃんのへやでうたう。お姉ちゃんは「またか。」というかおでちらっと見るだけ。なにか言ってくれたらいいのに。いやだな。お母さんはいつもにっこり。はなうたをうたってくれる。すごくうれしい。二じかんい上うたっておどるから、あせびっしょり。まわるとあせがとびちるくらい。たぶんぼくのあたまからはゆ気が出ている。

ダンスの先生は、ぼくが一ばんすきなミュージカルに出ていたすごい人だ。つま先で立ったり足を高く上げたりするとき、ぼくはまだふらふら。先生はピンッと立ったまま一ミリもゆれない。フラミンゴみたい。とてもかっこいいんだ。先生はお手本を見せながら、わかりやすい言ばでおしえてくれる。パッセというつま先で立つうごきがぼくはちょっとにが手。足にしゅう中するとせ中やくびが丸まってしまう。できなくてくやしくて、なんどもなんどもれんしゅうしていたら、先生が
「しん長はかられパッセ!」
と元気よく言った。
「しん長をはかるときのように、せ中もくびもグーっとのばすといいよ。」
とおしえてくれた。「すうっ。」ぼくはいきをすってせ中とくびを思いっきりのばした。あたまのてっぺんを天じょうに近づけるように。いつもよりピンッと立てた。また先生のまほうにかかったぞ。先生はえがおで
「いいね!いいね!」
と言ってくれた。「やったあ。」ぼくはうれしくて、なんどもなんどもくりかえした。ぼくもえがおになった。

ぼくのゆめはミュージカルはいゆう。家ぞくやともだち、みんなに見てほしい。もちろん先生にも。そしていつか言ってほしいな。
「いいね。いいね。」

【渡邉さんの作品に対する講評】

「いいね。いいね」まさにまほうの言葉ですね。作文を読んでいると、まるで文章の文字が紙面から飛び出して空に向かってのぼっているようです。あおいさんはダンサーになりたいのですね。文章もまるであおいさんのきもちがのりうつったよう、文字の一つ一つがリズミカルに元気よくまるで生きているように読み手に伝わってきます。そしてダンスを教えている先生、あおいさんのよいお手本になっていますね。先生もこの作文を見たら言うと思いますよ。「いいね。いいね。」

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小学4~6年生の部

海の中でも使える言葉がある
早稲田実業学校初等部 四年 鈴木 美陽

私は海が大好きで、毎年夏に自然教室の先生と水中散歩をしている。海の中では水中ホワイトボードで言葉を文字にして会話しているが、その道具を使わなくても直せつ話せる言葉がある。その言葉を皆さんは知っているだろうか。答えは手話だ。そう、先生は耳が聞こえない。先生は小さい時に、高ねつでちょう力を失ってしまったと聞いた。

しかし、先生はだれよりも海を知り尽くしていて、生き物に出会うたびに手話でくわしく教えてくれる。それだけでなく、自分がい世界に飛びこんだかのようなファンタジーな光景を見せてくれ、ぼうけん家として海をたんけんしている気分になれる。なぜなら、魚たちが先生を大かんげいしているかのように、真っ先に先生の所にかけよってくるからだ。昨年の夏も、チョウハンの群れが先生の手話にすいこまれるように先生の手によりそってきた。まるで、「私にも手話を教えてください。」と先生に聞いているように感じた。すると、先生はえ顔とともに、
「ありがとう。」
と手話で返事した。先生に教わった水中での手話の世界に引きこまれた私は、一しゅん時が止まったような感かくに包まれた。

そんなある日、先生はこう言った。
「海に入るしゅん間が一番好きなんだ。」と。
「どうしてですか?」
と聞くと、
「耳が不自由でも楽しくコミュニケーションできる世界に行けるから。」
とにっこりわらって答えた。その時、私ははっと気づかされた。手話は海の名でも使えるべん利な言葉だということを。それと同時に、これは先生の心のさけびなのだろうかと思った。りくでもスムーズに話せる世界でありたいという言葉のうら返しなのかもしれない。私はそう感じた。

それから私は、「地上でも本当の意味で海の中のようにだれもがわらい合える世界」を築き上げていくために私たちができることを考え、「地球にやさしくおたがいが助け合える平和な社会」を目指しているSDGsについて学び始めた。私が歩んでいく道を作ってくれた先生に心からかんしゃしている。

【鈴木さんの作品に対する講評】

先生と美陽さんと魚たちがおりなす海の世界の美しさや楽しさが目に浮かびました。そして、海の中でも使える言葉の正体が手話とは! おどろきました。なるほど、手話なら海の中でも使えますね。さらに、海の中では耳が不自由であることが不自由なことではなくなるというところに、発想の転換があります。それを先生の「心のさけび」だととらえ、陸上でも不自由を感じないで話せる世界にしていきたいと思った美陽さんの発想もすてきです。読む人の視点が上がっていくように巧妙に構成された文章です。おみごと!

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中学生の部

反面教師「だった」兄
大洲市立肱川中学校 二年 北地 梨衣紗

私の兄は、私にとっての反面教師だった。ゲームばかりしていて家の手伝いも宿題も全部後回しにする。そのせいで昔からよく両親に怒られていた。だから私は幼いころから兄を反面教師として見ることが多かった。兄がしてしまって怒られたことはしてはいけない、逆にしなくて怒られたことはしなければいけない。兄の行いは良くも悪くも私の手本になっていた。私は兄のことを嫌いなわけではなかったし、仲は良かったけれど、宿題など自分のやることを何もかも後回しにして後で苦しんでいる兄を見ていると、とても他の人に自慢できる兄ではないと思ってしまっていた。

そんな兄の変化に気付いたのは私が中学一年生、兄が中学三年生になってからのことだった。兄は成績も悪くはなかったし気さくな性格だったから、友達もたくさんいた。けれど、中学校の先輩や先生から聞く兄の様子は私が知っている兄とは少し違った。兄は後輩から「頼りになる先輩」と言われていて、先生からもよく褒められていた。そして何より、誰からも信用される存在だった。たしかに私も兄を頼ることはある。けれど、そんな風に言われるほど頼りになる人だっただろうか。私は兄の変わり様をこの目で見るまで、先輩や先生たちの言葉を信用できなかった。

学年が違うため学校で会うこと自体少なかった私たちは、全校での交流でのみ顔を合わせる機会があった。その時の兄の様子は、私の知っている兄とはまるで別人だった。班活動になったとき、他の三年生と一緒に後輩たちに的確な指示を出し、自分から意見を提案することもあれば、他の人からの意見も積極的に取り入れていた。誰にでも気さくで気遣いをするからこそ、気負わずに発言できる後輩が多いのだろうと感じた。そのときの兄の姿を私は初めて素直に尊敬した。兄がこんなにテキパキ行動できる人だったなんて知らなかった。その日を境に、私は兄を「反面教師」だと思うことはなくなった。今までは言われる度に複雑な気持ちになっていた、「お兄さんに似ているね」という言葉も、褒め言葉だと素直に捉えるようになった。学校での頼りになる兄に似ていると言われるようで嬉しかった。ただそんな兄も、今でも親に怒られることはある。けれど私が兄から学んだことはもう、やってはいけないことや、やらなければいけないことだけではなくなった。私は兄を反面教師だと思わなくなった日から、兄のような「誰にでも頼りにされて、意見を言いやすい先輩」になれるように努力している。私が誰かから頼りにされる度に、それは少なからず兄の影響もあるだろうと思うようになった。いつのまにか私にとって兄は「反面教師」ではなく、私に大切なことをたくさん教えてくれた偉大な先生になっていた。

【北地さんの作品に対する講評】

まさに題名の通りかぎかっこで囲んでいる「だった」が全てを表現していますね。ちょっと自慢できないで「反面教師」になっていたお兄さん、でも梨衣紗さんはそんなお兄さんのことを本当は「反面教師」なんて思っていなかったんでしょうね。きっといいことも悪いことも受け止めて、本当はすごいんだ、えらいんだと思っていたのでしょう。今、そのお兄さんへの期待が花開き、うれしさ満開な様子が伝わってきます。兄でありながら偉大な先輩、そんなお兄さんですね。

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■ 銀賞

小学1~3年生の部

わたしたちは、せんせい
江差町立南ヶ丘小学校 一年 篠原 心海

わたしには、ののちゃんという二さいのいもうとがいます。ののちゃんはなんでもわたしのまねをします。ことばもあそびもわたしがおてほんです。だからママが「ここちゃんはののちゃんのせんせいだね。」といいました。わたしはうれしいきもちになりました。ののちゃんがかわいくうたうのも、「ありがと」や「ごめんなちゃい」と、かわいくおしゃべりするのもわたしがおしえたからです。

でも、ののちゃんはわたしのわるいところもまねをします。らんぼうなあそびや、きたないことばづかいもまねをします。いじわるもまねをします。わたしはこまってしまいました。なんだかはずかしいきもちになりました。そのときママは「ののちゃんは、ここちゃんのいいところもわるいところもおしえてくれるせんせいだね」といいました。

わたしたちは、ふたりともせんせいでした。わたしは、ののちゃんをみてじぶんのいいところとわるいところにきづくことができました。ののちゃんせんせい、おしえてくれてありがとう。でも、できればわたしは、いいことだけをおしえるせんせいになりたいな。とおもいます。これからは、ふたりともいいせんせいになれるようにがんばります。

【篠原さんの作品に対する講評】

読んでいてふっと笑ってしまう楽しさとかわいらしさがある文章です。2才の妹の、ののちゃんを見て、自分のいいところと悪いところに気づくことができたここみさん。ののちゃんと共にこれからもいろいろな経験を積んで、どんどん成長していってください。

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小学4~6年生の部

「『元』先生と私」
松山市立道後小学校 小学六年 北地 菜々美

「先生の好きな物はみかんです。」

勉強や学校に関係のない第一声に、私は瞬く間に引き込まれた。二年生に進級した年に出会った。N先生だ。いつも笑顔でおおらかな先生。普段は怒らず、命に関わることには厳しい目で指導する先生。私は先生と過ごす学校生活が楽しくて仕方なかった。退職を知ったのは三年生の終わりだった。私は現実を受け入れることができず、号泣した。

その日から、N先生との文通が始まった。私の出す手紙の返事はすぐに来ない。行事のあとであったり、私がしんどいなと感じた時に見事に手紙が届くのだ。先生のやさしい思いやりに私はいつも元気をもらっていた。五年生になり学校のことで悩む日々が続き、私は先生に手紙を書く手が初めて止まった。その様子を見守っていた母が言った。
「楽しいことだけを書かなくていい。N先生ならどんな言葉でも受け止めてくれる。」私はそれから二時間書き続けた。自分の想いを。驚いたことにすぐに返事が届いた。先生のメールアドレスを添えて。これまで何度も携帯番号を教えてほしいと書いても
「菜々美さんが大人になって自分で料金を払えるようになってからね。」
と言われてきた先生からの大きなプレゼントに、私はとび上がって喜びすぐに返事をした。もちろんメールで。「こんなに辛い五年生は、嫌だ」と思っていたが、先生とのメールのやり取りで「私は私でいい」そう感じることができ心が救われた。学校へ行くことが不思議なことに苦しくなくなっていった。

この春、私はN先生に二年ぶりに会うことができた。手紙とメールで何度も話をしてきたのに、いざ会うとなると緊張した。しかし、さすがだ。数分で先生のペースに引き込まれ、学校で話をしているような、なつかしい感覚がよみがえってきた。大好きな先生との楽しい時間は、あっという間に過ぎ去ってしまったが、別れ際、先生から教えてもらった言葉を今もしっかりと覚え、実行していることがある。
「嫌なこと、悲しいこと、困ったことがあれば紙に書くといいよ。文章にすると考えがまとまって、自分が今、何に悩んでいるかわかるかたね。でも、個人情報を書くこともあるから、その紙はシュレッダーにかけるといいよ。そうしたら気分もすっきりするよ。」
先生のユーモアあるアドバイスに、心はすっと軽く、笑顔になっている自分に気づいた。退職後、先生はいつも自分のことを「『元』先生」と書くけれど、やっぱりN先生は私にとって最高の先生だ。それはこれからもずっと変わることはない。私もN先生のように、笑顔とやさしさで友達を包みこみ、小学校生活最後の一年間を全力で楽しみたい。そして、今度N先生に会う時にはシュレッダーにかける必要のない最高の思い出を伝えたい。

【北地さんの作品に対する講評】

作文の発端部で担任のN先生が退職されることを知ったときの驚きと落胆の気持ちが説得的に書かれています。展開部ではN先生と手紙とメールでやり取りするようになった日々がいきいき表現されています。N先生のアドバイス「嫌なこと、悲しいこと、困ったことがあれば紙に書くといいよ」を実践するうちに菜々美さんは、書くこと・考えること・生きることがつながっていることを悟るようになったのですね。N先生との交流を通して得た結論は「やっぱりN先生は私の最高の先生」。この言葉がストンと胸に落ちる素晴らしい作文です。

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中学生の部

深くて陽気な小説家
三田市立八景中学校 二年 大塚 和々

私は中学生になってから不登校だ。

なので「先生」がテーマの作文で、学校の先生の話は書けない。小学校の恩師はいるけれど、「今の私」の先生ではない。今の私を支える「先生」は何だろう。そう考えたとき、思い浮かぶのは「本」だ。私は読書が大好きだ。特に好きな作家は、伊坂幸太郎さんだ。伊坂さんの物語は深く、一度のめり込むと、簡単には出てこられない。
とくに、私の心の支えになっている言葉がある。『重力ピエロ』の一節だ。
「本当に深刻なことは、陽気に伝えるべきなんだよ」

小説の要約は難しい。要約できる内容なら、長い物語にする必要はないからだ。けれど、この言葉は、『重力ピエロ』の全てをぎゅっと閉じこめていると思う。

二年前、たまたま、本屋で伊坂さんの本を立ち読みした。そのとき読んだのは『アヒルと鴨のコインロッカー』という作品で、ある大学生が、本屋で広辞苑を盗む場面から始まる。伊坂作品には、「普通」の誰かが「非現実的」なことに巻き込まれ、巨大な「何か」と戦う話が多い。「何か」は、生い立ちであったり、国家であったり、夢の中の怪獣であったりする。私は、ページをめくりながら、知らず知らずのうちに、その「何か」に自分の問題を重ねてしまう。いつの間にか、伊坂ワールドに巻き込まれる。私は本が好きで、数年前から、小説家を志している。では、自分が目指すべき小説家は誰だろう。伊坂さんの小説を読んで、ピンときた。ふだん、何ごともない世界で、夢を見せてくれる伊坂さん。夢の中には、現実の問題や深いテーマが隠れているけれど、伊坂さんは、それを陽気に楽しく伝える。

伊坂作品によく出てくる名言がある。
「未来は神様のレシピで決まる」

不登校だったり、勉強に追いつけなかったり、ぶつかる壁は多い。不安を抱いたとき、思い出すのは伊坂さんの言葉だ。未来は不確定で、結果はわからないのだから、ただ、全力で進もうと思える。

伊坂作品の登場人物たちのように、私たちは、常に戦っている。私が戦う大きな敵は、学校に行かない選択をした自分自身だ。ずっと悩んでいたけれど、今は、不登校の自分を好きになれた。

伊坂さんは私の先生だ。小説を通して、今の私を支えてくれている。先生に教えてもらったことを、次は、私が伝える側になりたい。

私はいつか、小説家になる。そのために、陽気に、楽しく、生きよう。

【木村さんの作品に対する講評】

「私が戦う大きな敵は、学校に行かない選択をした自分自身だ」そう言い切る和々さんの先生は、伊坂さんの小説。自分の悩みや夢を語りながら、伊坂作品の魅力を的確に、そして心に響くように伝えている秀逸な文章です。

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■ 銅賞

小学1~3年生の部

G先生、大好き
町田市立町田第四小学校 二年 宮田 愛花

G先生のおかげで、算数が好きになったよ。ありがとう。わたしが、このまえ「くりあがりがある足し算」をべんきょうをした時、ゆっくりかんたんに分かるようにせつめいしてくれたよね。学校の教か書だけじゃたりないから、もんだいしゅうも買ってくれて、いっぱいれんしゅうして、けいさんが出来るようになってきたよ。

いつもG先生は、わたしがまちがえていても、「ちがう」じゃなくて、「オシイ」と言ってくれるよね。「ちがう」と言われたら、すぐに嫌になってやる気がなくなって、まちがえているところもわからなくなっちゃうの。でも、「オシイ」とか「ちょっとちがうね」と言ってくれたら、どこがちがうのか考えられる。そして、ちゃんと見ればわかるんだ。それに、自分で直せたら、「すばらしい」と言ってオンラインのがめんに手を大きくうつして、はく手をしてくれるからうれしいんだ。学校の先生は、いそがしいからつぎのもんだいにいっちゃうこともあるからね。

愛ちゃんは心の中では「ちがう」は×で、「ちょっと違う」は△で、「おしい」が〇、「せいかい」は◎と思っているんだ。だって、「おしい」は△より〇がにあうでしょ?それに、そう考えた方が、気もちがいいからね。

いつもは30分ぐらいだけど、やる気モリモリの時は40分くらいおべんきょうするよね。つぎにお姉ちゃん二人がまっていて、それぞれ一時間い上やることもあるから、教えるのが大へんだよね。
この間おどろいたことがあるんだよ。わたしが「分からない」と言ったら、「分からないって言えてすごいね。えらいね」とG先生が言ってくれた。「言えただけで、すごいんだ」と思ったよ。学校では、「分からない」って言った人にはミニ先生がヒントを教えるんだ。家で先におべんきょうしているから、学校ではこまらないし、ミニ先生にもなって「ありがとう」って言ってもらって、おともだちによしよしもしてもらってるよ。いつも教えてくれてありがとう。おじいちゃん。大好き。

【宮田さんの作品に対する講評】

まちがえても、「ちがう」じゃなくて「オシイ」といってくれるG先生は、お母さん?お父さん? あれ、オンラインのかていきょうし? と、いろいろ考えながらよんでいくと、さいごにすてきなオチが待っていました。がめんごしのおじいちゃんのえがおが目にうかかびました。どくしゃをひきつけるのが上手ですね。ふだん話すようなことばで書かれていて、愛ちゃんのひとがらもつたわってきました。

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小学4~6年生の部

山田先生伝統の教え
世田谷区立松丘小学校 小学六年 岸田 ひかり

全速力でボールを取りに行く、遊具まで突っ走る、とにかく友達と騒ぐ、委員会活動に没頭する、一人で本を読む、それぞれが好きなことをする休み時間。チャイムが鳴ったとたん、皆が席に着き、授業を始める。遊びと学びの切り替えが徹底している。それが私の担任、山田先生の学級だ。山田先生は、今の学校でも今までの学校でも生徒から「切り替えの鬼」と呼ばれている。そう呼ばれる理由は遊びと学び以外にもある。それは対応の切り替えだ。例えば、悪いことをした生徒に厳しくしかった後、関係のない他の生徒には先ほどまでの先生とは別人のように優しく接する。私はこの二つの切り替えがあることで良い学級になっていると実感している。

そんな山田先生は、私が四年生の時、初めて学校に来て、私のクラスの担任になった。私の学年は四クラスあり、続けて同じ先生になることはとてもめずらしいが、私の場合、三年間山田先生が担任である。山田先生の学級はとても楽しく面白い。クラス全員で一丸となって取り組んだ大繩チャレンジでは、飛び方やタイミングなどの個性を把握している山田先生が縄をまわすことで、好成績を残した。また、運動会や持久走などの学校行事では、普段は落書きを許されない黒板に、全員の意気ごみを自由に書くことが出来た。他にも、とある生徒からの提案で十一月十一日十一時十一分十一秒に授業を中断し、クラス全員で記念撮影をした。このように、いつも先生は一緒に遊んでくれて、思い出作りの一員になってくれる。

五年生のある日、先生が面白い話をしてくれた。それは、山田先生の小学校時代の担任で、偶然にも苗字が「山田」という先生の話だ。山田先生の山田先生もやはり面白い先生で、クラスの皆で釣りに行ったり、放課後遅くまで残って段ボール工作をしたりしたそうだ。私が聞いた中で一番印象に残っている話は、「太平洋横断プロジェクト」で、牛乳パックでいかだを作り、太平洋を横断しようという計画だ。リハーサルとして学校のプールで乗ってみたところ、三人ほどで沈んでしまったという。こんなに面白い先生に育てられた山田先生だから、今のユーモアあふれる先生になったのだと思う。

山田先生が私の担任になったおかげで小学校生活で素晴らしい思い出を作ることができた。そのため、残りの数ヶ月も楽しみたい。また、小学校一年生の頃から将来に就きたい職業を決めている私だが「クラスはみんなでつくるもの」という「山田先生」の教えを受け継いで、小学校の先生を目指すのも面白そうだなと思う。

【岸田さんの作品に対する講評】

山田先生はどんな先生ですか?と問われたら何と答えるでしょう。まさにひかりさんの人生の道しるべになっている先生ですね。授業と休み時間の切りかえ、注意しているときとほめるときの切りかえ、先生のお手本となる先生ですね。それから毎日、絵巻物のように思い出を紡いでくれる、山田先生とひかりさんたちクラスのみんなでドラマを作っているようです。こんな夢のような毎日を送っているひかりさんたちがうらやましいです。

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中学生の部

先生のくれた宝物の言葉
横浜市立早渕中学校 一年 山田 万葉

ある春の日の散り染め、桜の花を見ていると花びらが地面にはらりと舞い落ちていく様子をピタリ、と表す言葉がないことに気がついた。花びらのまたたきは今の言葉では十分表現できないものなのだろうか。それとも私の知らないところにあの美しさを表す言葉があるのかもしれない。

私の心に一番「先生」として残っている人は小学生の時の担任、島田先生だ。彼の口癖は「時は遊び」で、本人曰く「課題は早めに済ませて本当に好きなことをしよう」という意味だそうだ。他の先生とは一味違った取り組みや遊びを、生徒のためにいつも一生懸命考え、実行してくれる素晴らしい先生だ。

中でも国語の短歌の授業で「百人一首」と出会わせてくれたことをとても感謝している。二ヵ月に一度、クラスでチャンピオンを決める大会を開いてくれた。そこで一位になれず泣いてしまい、友達と必死に練習したことも懐かしい思い出だ。しばらく百人一首がマイブームになり、その翌年、五年生の時には自分達と島田先生でクラブを作り、公式の大会にも出た。そのうえ、百人一首は日本語について考える大切なきっかけにもなったのだ。

例えば、日本語独特の繊細で美しい表現についてだ。在原業平の「ちはやぶる」の歌では、紅葉の美しさを、川を紅色にくくり染め上げてしまったと表現した。菅原道真の「このたびは」という歌では、神様に捧げる綿の幣以上の美しさと例えた。同じ紅葉の美しさを表すにも人の数だけ表現の数がある。今、私たちが多彩な表現を楽しめるには、先人たちが頭を捻り表現を編み出してくれたおかげだろう。

そんな私が大好きな日本語は、外国人からは難解すぎて、デビル言語とも呼ばれているそうだ。確かに、文を大幅に省略したり、一人称が多かったりと、母国語でないとマスターすることは難しそうだ。私は、百人一首を通して、この日本語の素場らしさを世界の人々に知ってもらいたいと強く願うようになった。言葉とは本来、より自分を細かく表現するための道具である。言葉本来の役目をしっかり果たすにも、古来からの華麗な表現を放棄せず、かつ、文法を整理する必要があるのかもしれない。

人間にとって先生とはそれぞれが自分の道を進む手助けしてくれる灯りのような存在である。私たち生徒に様々な機会を与えてくれた島田先生は、私たちの代の卒業と共に新しい学校へ行かれてしまった。広い視野を持ち、さわやかに好きなことに向かって行動することを先生から学んだ三年間だった。先生の背中を見て過ごしていくうちに何となく未来への「夢」が自分の中で分かるようになってきた気がする。今、私は、大学の言語学の先生から講義を受け、自分なりに日本語の研究を続けている。すべては、あの百人一首との出会い、そして島田先生が教えてくれた「時は遊び」という言葉から始まったのだ。

桜吹雪の中、「時は遊び」その言葉を言う島田先生の声と表情をふと思い出す。初めて話した日が昨日のように思えるが、私はもう立派な中学生なのだ。しっかりしないと。先生、本当にありがとうございました。心の中で呟き、前に一歩踏み出した。

【山田さんの作品に対する講評】

「時は遊び」という言葉がなぜ大切なのか。百人一首と出会わせて下さり、言葉と向き合うことになった先生のことが書かれています。
 将来への「夢」がより具体的であり、日本語の研究を続けるに至ったという分析が良く出来ています。構成にも工夫のある作品です。

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■ 入賞

小学1~3年生の部

成ちょうしたぼくは今
松戸市立梨香台小学校 二年 所 暖

「ひなたくんのペースで大丈夫だよ。ゆっくりで大丈夫だよ。」
大泣きしながら幼ち園のクラスに入るぼくに、まい日だっこをしながらそう言っておちつかせてくれたのは、のぞみ先生と、ゆみ先生。

ぼくは幼ち園になじめなくて、年少のときに、一回たいえんしている。
そのあと、年中からあたらしい幼ち園に入ったぼくは、ここでもまい日泣いて、先生をきっとこまらせた。おかあさんもこまらせたぼくは、かえりたくて、もっと泣いた。

でも、二人の担にんの先生は、あばれるぼくを、まい日やさしくてあたたかいえがおでずっとつき合ってくれた。

一人で給食を食べたかったぼくを、むりやりせきにつれていかずに、ロッカーの前で食べることをゆるしてくれた。
「いっぱい食べてくれたらそれで充分だよ。」って。ははの日のプレゼントも、きげんまでにまに合わなかったけれど、完成する日まで見守ってくれた。
「日にちがすぎても完成させることが大切だからね、大丈夫だよ。」って。

成ちょうがゆっくりだったぼくの全てをうけ入れて、全てをみとめてくれて、よりそってくれた。

年ちょうになって、二人の先生はいなくなってしまったけれど、ぼくはもう、大丈夫になっていた。

さらに、一年生でひっこして、だれもしらない学校へ行ったけれど、もう泣かなくなったぼくは、あのころよりも、つよくなったんだ。あんなによわかったぼくが、今はスポーツにむ中で、コートの中、大声を出して走り回っている。そんな今のぼくを見たら、先生は泣いてくれるかな。もちろんうれしいなみだの方でさ。

【所さんの作品に対する講評】

作文の書き出しと終わり、本当に同じ人物なのかと思うくらいです。作者のひなたくんがたくましく成長したことが文章からひしひしと伝わってきます。それを支えてくれたのがようち園ののぞみ先生とゆみ先生。ひなたくんを見守り、ちょっとずつできることを増やしてくれたのでしょうね。今は二人の先生ともいないのですか?いえいえ、いらっしゃいます。ひなたくんが成長し続ける限り、お二人ともひなたくんの心の中にいらっしゃいますよ。

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本当のつよさ
宇都宮市立富士見小学校 二年 宮岐 諒大

人さしゆびで土をよけた。カブトムシのようすがおかしかったので、かくにんすることにした。カブトムシは一人で休んでいたかったかもしれないけれど、心ぱいな気もちをがまんできなくて、ぼくは土をほじくった。

キクチ先生はそのようなことはしない。むりやりほじくったりはしない。キクチ先生はぼくの体そうの先生だ。年少の時からぼくをしっている。がんばっている時もなまけている時も、せいこうする時もしっぱいする時も見ている。きびしくて、やさしい先生。

二年になり、あたらしいクラスにぼくがいやだと思うことをする人がいた。楽しい時もあったけれど、いやなことを言われたり、されたりすると心がいたくなった。楽しい時間がふえるようにがんばってもさいしょはむずかしかった。

体そうきょうしつにはいやな人はいないので、しゅう中できていたと思った。でも、先生はすぐに気づいた。先生はそれでもいつものように、さか立ちの手のいちや、ヘッドてんかいの上手なやり方をおしえてくれた。つよくなる方ほうも、やさしくなる方ほうもおしえてくれた。

もうすこしがんばってみて、それでもよくならなかったら先生にそうだんしようと思う。先生と話すとゆう気が出るし、やさしい気もちにもなれるし、ムキムキとパワーが出てくる。もし、こわくなってにげても先生はいてくれるし、またパワーの出し方をおしえてくれる。

ぼくはカブトムシが土から出てくるのをまだまてないけれど、キクチ先生はまってくれる。見まもっていてくれる。そして、ぼくがそうだんする時には話を聞いてくれる。

つよくて、やさしくて、ぼくをしんじてくれるキクチ先生がぼくは大すきだ。

【宮岐さんの作品に対する講評】

たいそう教室のキクチ先生は諒大くんに「本当のつよさ」を教えてくれたのですね。「ぼくはカブトムシが土から出てくるのをまてないけれど、キクチ先生はまってくれる。みまもってくれる。落ちこんだときにもパワーの出し方を教えてくれる。」と、自分とキクチ先生を比べて先生のすばらしさをきわだたせる書き方がみごとです。「つよくてやさしくて、ぼくをしんじてくれるキクチ先生が大すきだ」という諒大くんの気持ちがいきいきと伝わってくるすばらしい作文です。

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小学4~6年生の部

大切な泣き虫の先生へ
盛岡市立桜城小学校 五年 山田 永菜

入学式の日、みんながドキドキしてる中で私は一人ワクワクしていた。なぜかというと私は二日前、担任の先生に会って一緒に教室を見たり、たくさん話をしたから。

ASDとADHD。私の相ぼう。感かくかびんがあるので、入学式より前に担任の先生に合わせてもらうことにした。

一年生の頃は、すぐ立ち歩いたり、すぐ保健室に行ったりしていた。その時は、立って歩いてはいけない理由が分からなかったのかもしれない。先生にはたくさん心配も迷惑もかけた。二学期になる少し前、私はある作文を書いた。直しがあると私は時間がかかってしまうので、先に出して教室で先生と読んだ。先生は涙をいっぱい流して
「そうだったね、そうだったね。」
と言いながら作文を読んでくれた。先生が
「この時、永菜ちゃんが、広場のチューリップも、おめでとうっておいわいしてくれてるねって言ってたんです。そこも入れたかったな」
と言ってくれた。

二学期が始まって少しして、先生は体調不良で長いお休みをすることになった。

私が立ち歩いたりしたから先生つかれたのかな。先生のことが心配だった。自分のせいだったらどうしよう。思っても何も出来なかった。

夏休みに書いて先生に句読点を直してもらった作文が日本一になったとお知らせが来た。先生は具合が悪いので連絡しないようにしていたけど、メールで先生にお知らせをした。先生から電話が来て、又先生は泣いていた。
「良かったね!永菜ちゃんがんばったね!」
と言ってくれた。だから私も
「先生の日本一の先生だね!」
と答えた。

一年生の三学期から少しずつ先生が学校に戻ってきた。

二年生から私は支えん級になった。五年生の今も籍は支えんだけど、朝から帰りまで五年生の教室にいる。二年生で担任の先生が変わっても、三年生の時も、私は困ったこと、かなしかったことがあると、いつも先生に話を聞いてもらった。本当は担任じゃないから相談しても先生も困るのに、先生は泣きながら話を聞いてくれた。

四年生になる時、先生はちがう学校に行くことになった。
「私もいつまでも先生にあまえていないで、先生から卒業しなくちゃ」

先生が学校からいなくなる少し前、先生が
「私、まだこれ持ってるよ」
と紙をさし出した。四つ上の姉が書いた色々な作文を先生は姉が二年生の時から中学校に入っても大切に持っててくれた。

真理先生、先生学校にいないけど頑張るよ。

【山田さんの作品に対する講評】

永菜さんは、自分について客観的に見ることが出来ます。なかなか周囲となじめずにいた時にも、いつも寄り添って下さった先生。そのありがたさに気付けるのも先生と沢山お話をしたからなのでしょう。
 担任から外れても話を聞き流してくださる「大切な先生」です。「いつまでも先生に頼らず頑張ろう」と思えるように強くなった永菜さん、応援しています。

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大好きなキャバ先生ありがとう
智辯学園和歌山小学校 五年 佐久間 菫

キャバ先生と出会ったのは、私が4才で、妹が1才の時。キャバ先生の本名は黒田キャバレロ。フサフサで、つるつるで、真っ白な毛をいつもなびかせていた。一緒に歩く時なんかは、すれちがう人みんなのしせんを感じたし、みんながキャバ先生にみとれているのが分かるのだった。声をかけてくれる人もたくさんいた。キャバ先生はみりょく的で、一緒にいると、自分も人気者になったようで、ほこらしい気分だった。そんなキャバ先生がたまに泊まりにきてくれる日がとても楽しみだった。キャバ先生の家族はヨットマンでしばらく船旅に出たりする。そんな時、キャバ先生はいつものおとまりセットを持ってルンルンとうちにやって来る。私と妹はうれしくてたくさん遊んだし、朝の散歩にも、夜の海にも一緒に行った。キャバ先生は暑いのが苦手だから、夏の朝はとても早おきして散歩に行った。キャバ先生は健康に気をつかっているので、一番のごちそうはゆでたとりのささみ。大の早食いで私の顔より大きなお皿に山盛りのごはんを一しゅんでペロリとたいらげてしまう。夜は家中で一番つめたそうな場所をさがしてねる。私の家ならキッチンの床。大の字になってグーグーねる。夜中にキャバ先生のとんでもなく大きなさけび声で家族みんながあわててとびおきた。何だ何だとまどの外を見てみると、そこにはのらねこがいただけだった。大げさだなーとみんなで苦笑い。キャバ先生がかえったあと、部屋を見わたすと、あちこちにキャバ先生の『おみや毛』がおちている。そうじ機ですっても、コロコロでしても、あとからあとからそれはでてくる。一週間、二週間、三週間たってもまだ。いつまでものこって、ふとした時に急に顔を出すキャバ先生のおみや毛みたいに、私の心にキャバ先生との思い出はずっとのこるだろう。

キャバ先生は5月4日のみどりの日に天国に旅立ってしまった。12才だった。人間でいうと89才。イングリッシュゴールデンレトリバーという犬種のじゅみょうは12才から13才だから、キャバ先生は長生きしてくれたと思う。私がキャバ先生とよぶのは、キャバが、たくさんのことを教えてくれたからだ。小さいころ、私は動物が苦手だった。私が生まれて初めて、ちゃんと関わった動物がキャバ先生だった。4才の私にとっては、ライオンみたいに大きいキャバに初めはかまないかな、ほえられないかな、とおびえていたけど、やさしくて、おちゃめなキャバをどんどん好きになっていった。今では動物が大好きだ。その日、冷たくなったキャバ先生に会いに行った。たましいの無い体を見たのは初めてだった。最後に教えてくれたのは命のこと。体は無くなっても思い出はずっとみんなの心に生き続ける。キャバとの思い出はおみや毛みたいに私の心にいて、それを見つける度に私は、四つ葉のクローバーを見つけた様に嬉しい。

【佐久間さんの作品に対する講評】

えっ⁉ キャバ先生って誰? 外国の人?コミカルに描かれていくキャバ先生の描写に引き込まれて読み進めていくと、イングリッシュゴールデンレトリバーという種類の犬であると種明かしをしてくれました。短編小説を読み終えたようでした。キャバ先生と菫さんの絆の深さに感動を覚えました。

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中学生の部

忘れない 先生の笑顔と優しさを
苫小牧市立啓明中学校 三年 近藤 芦羽

「陽子先生が昨日、亡くなった。お通夜は・・・。」僕は、友人のその言葉があまりにもショックなことと、信じたくない気持ちで、話しの途中から耳にはいらなくなっていた。

陽子先生とは、僕が小学校五・六年の担任でいつも元気で明るく、生徒一人一人の事を大切に思いやり、誰もが憧れるきれいな先生です。先生がいるだけで、場の雰囲気が明るくなり自然と笑顔であふれます。僕もそんな陽子先生が大好きでした。六年生の九月、先生に突然病魔が襲いかかりました。「手術と入院でしばらく休むけれど絶対元気になって卒業式に担任として参列するからね。」ときっと不安な気持ちや怖い気持ちでいっぱいだったのに、全くそんな素振りを見せず、クラス中が泣いている中、笑顔で落ちついて話してくれました。子ども達に心配をかけさせたくないという先生の優しさが伝わって涙がこらえきれなくなりました。

やっぱり、先生は強かった。辛い治療にも負けず、自慢のさらさらのきれいな髪がなくなっても、医療用ウィッグをつけて笑顔で復活してくれました。体調が悪くても決して表に出しません。病気の事を悪く言ったり、弱音も全くはかず、先生として、人間として器の大きさと偉大さを感じました。

そして卒業式当日、袴姿の先生はキラキラしていました。たくさんの思い出と感謝の気持ち、離れ離れになる淋しさで感慨深い一日となりました。コロナ禍なのでクラスでお食事会ができず十年後に開催しよう、その時にタイムカプセルをあけよう、先生が大切に預かるけれど、もし先生に万が一のことがあったら旦那か子ども達に託すから安心してねと言った。誰もが十年後、先生とお酒を飲みながら昔話しができると疑いもしなかったし、病気にも勝ち、健康な体に戻ったと安心して月日が流れていた。

中学生になってからも手紙や年賀状のやり取りをしていました。先生の手紙は、いつも優しく応援してくれる内容で元気をもらっていました。ニケ月前にもハガキが届いたので修学旅行のお土産を買って先生に送ろうと返事をまだ送っていませんでした。まさかそのハガキが僕にとって最後のハガキになるとは思ってもみなかったから・・・。

僕はお通夜に参列しました。会場内は人であふれ祭壇には笑顔の先生の写真が飾られていた。誰もが泣きじゃくり、先生が誰からも愛されていたことがわかった。陽子先生は太陽みたいな人でお別れがとても辛かったです。命は永遠ではないと理解していてもどこか他人事で現実味を感じた事がなかったけれど、大切な先生を失い命の在り方を身をもって教えてくれたように思えました。僕は先生みたいな大きな人間にはなれないけれど教師を目指して頑張ります。先生のこと忘れないよ。

【近藤さんの作品に対する講評】

「陽子先生が昨日亡くなった」驚きの書き出しから始まった作文に思わず惹き込まれました。「陽子先生は明るく優しくいつも笑顔で接してくれた。陽子先生は病魔に襲われ休職したけれど卒業式には袴姿でキラキラと輝いていた陽子先生。おとなになったら一緒にお酒を飲もうねと約束したのに。」その約束は果たされない。陽子先生が亡くなった喪失感。訃報により蘇る陽子先生との交流の日々の幸福感。――心の葛藤が見事に表現された説得力ある作文です。天国の陽子先生も、こんな素敵な作文を綴られた芦羽君の心の成長をきっと慶んでくださっているでしょう。

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やる気の出し方
高槻市立第二中学校 二年 後藤 楓奈

「一年生になったら、やりたい習い事一つしていいよ。何がいい?」
幼稚園の卒園が間近となった、桜の花びらがピンク色に彩る頃に、母は私に聞いてきた。私は幼稚園のカリキュラムで気に入っていた書道を選択した。すると母は、歩いて行ける距離にいくつも教室があったにも関わらず、車で二十分の距離にある知り合いがすでに通っていた、とても熱心に指導をしてくださる先生がいる書道教室に連れて行ってくれた。

初めてお会いした先生は、私の祖母よりもうんと年上のおばあちゃん先生だった。教室には、私と同い歳ぐらいから大人の人までいた。私は書道は子供が習うものだと思っていたので、大人の人がいた事にとても驚いた。先生は初日から厳しかった。「おしゃべりをしない。」「筆はバレリーナのように立てて。」「姿勢が悪い。」あまり怒られたことのなかった私はびっくりした。でも毎回最後に先生は、
「言い過ぎちゃってごめんな。つい熱くなっちゃうねん。」
と言い、飴玉を一つくれた。先生の厳しさに根を上げて、姿を見なくなる子もちらほらいた。私はその厳しさの中にも愛があるなと感じ、教室のある日は二時間頑張った。

五年生の頃、私は書道教室に行くのが面倒に感じるようになってきていた。片道二十分ということもその気持ちを助長させた。先生はその歳月でさらに歳を重ね、耳は遠くなり、歩くのもそろりそろりとなっていた。私はそれをいい事に、先生の目を盗んでお友達とおしゃべりをしたりおやつを食べたりするようになった。ある日私は、先生からコンクールに作品を出してみないかと提案された。初めは乗り気ではなかった私も練習するうちに再びやる気を取り戻した。すると先生もそれに応えて下さり、週に一回のレッスンを二回来ても良いよと言って下さった。何度も練習をし、ついに自分の納得をいく一枚が渾身の一枚が出き上がった。嬉しくて先生に見せると
「よく頑張ったね。後藤さんはやっぱり頑張り屋さんやと分かってた。」
と笑顔で言って下さった。私ははっとした。先生は私のやる気が低下していたことに気がついていたのだ。コンクールに出すことを提案したのも、私がやる気を取り戻してほしいという気持ちを先生なりに伝えて下さったのだ。私は、ずっと影で支えて下さっていた先生にいたく素直な気持ちで心からの感謝の気持ちを述べた。作品は見事金賞に光り輝いた。私の力半分、先生の力半分で取れたと思う。

中学生になり、部活や勉強で忙しくなり毎週通うのが難しくなってしまった。だが都合がついたときは、先生にお願いして今でも通わせてもらっている。書道をしたい気持ち半分、先生に会いたい気持ち半分で。

【後藤さんの作品に対する講評】

書道のおばあちゃん先生と楓奈さんの、何年間にもわたる関係性の変化、そして楓奈さんの書道に対する気持ちの変化が、伝わってきます。ただ目に見えるものを表現するのではなく、時間による関係性の変化を描くことは、本来とても難しいことです。この作文はそれに成功しています。書道の金賞だけではなくて、作文でも賞がとれてしまいましたね。これもおばあちゃん先生の力が半分かもしれませんね。

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■ 海外賞

海外日本人学校等からの応募作品に贈られる賞です。

中学生の部

ピエロ先生
チューリッヒ日本人学校補習校 中学三年 ブルックナー愛美海

なぜか、教室の中で生徒からの拍手と声援が鳴りやまない。誰かが素晴らしい何かを上手に発表したわけでもなく、何か祝福するような出来事があったわけでもない。数学の授業での出来事である。

生徒たちの視線は、教室の前の方にいる先生に向けられている。先生は理由のない声援を浴び、混乱することもなく、少しもためらわずに、教壇に上がり、この意味不明な状況を、間違いなく楽しんでいるという愉快な表情でお辞ぎをしたのである。

この先生は、元サーカス団のピエロ…ではなく、私の数学のB先生である。この先生は、「良い先生」というより、どちらかといえば、おもしろい先生だと私は思う。

「良い先生」というカテゴリーに属する先生には共通点がある。

「良い先生」の必須条件は、まずどんな授業の内容でも興味深いと生徒に思わせる魔法を使うことができることだ。たとえ生徒にとってどれほどつまらない内容であっても、身近な事例を出して生徒をひきつける等の手法を使って、生徒に興味を持たせることができるのである。

次に、生徒にとって「良い先生」であるためには、分かりやすい説明をする必要がある。たとえ、生徒が授業内容に興味を持ったとしても、意味の分からない言葉ばかりで説明されれば、その授業の内容が具体的に分からないという状態に生徒が陥ってしまうからである。

以上の必須条件をまるで満たしていないのが、私の数学の先生なのである。B先生の能力は彼自身のおもしろさ、愉快さに異常に片寄ってしまっている。しかし、そのおかげで生徒からの人気は、いつでもナンバーワンである。

B先生は、私のクラスで初めて「教える」はずだった最初の授業で、まず音楽を流し、机の上で踊り始めたのだった。B先生の奇行は、数えきれないほどあるが、特に鮮明に覚えているのは、四月一日エイプリルフールの出来事である。

そのB先生は、私たち生徒に保護者までだますための零点のテストを配ったのだ。

そして、いちばん印象に残っているのは、その翌年の四月一日、B先生の授業が始まってから、クラスの生徒全員で、理由もなく急に拍手を始めた時のことだ。冒頭で述べている出来事のことである。

私の数学のB先生は、以上述べてきたような奇行も多く、授業での説明があまり上手とはいえない。しかし不思議なことに、私のクラスの平均点は悪くない。もしかすると、先生のありとあらゆる奇行が私たちの勉強のやる気、原動力となっているのかもしれない。

【ブルックナー愛美海さんの作品に対する講評】

人気のあるB先生について、これでもかというぐらい「良い先生」と言えない理由を書いています。読み手は、面白くて奇抜な先生を思い描くことが出来ます。でも最後の「クラスの平均点は悪くない」というところで先生との繋がりを感じるように書かれています。「勉強のやる気、原動力」を育てる先生。すばらしいです。

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